本書掲載の資料
●<資料
1−T>
1945年2月1日、日本政府は白山丸によってナホトカ港より神戸に到着した救援物資を、東南アジア方面へ送るための船舶として、「阿波丸」を使用することを決定し、これをアメリカ政府に伝えた。スイス政府を通じてアメリカ政府に送られた電文の1ページ。
●<資料
1−U>
阿波丸の安全確認のために日本政府は、1945年2月1日、スイス外務省を通して、アメリカ政府あてに、その特徴と標識マーク、および航路と寄港地の日程を送った。以下2ページにわたって記されている。資料1ーTに続く。
●<資料
2>
救援物資の内容と送付先を記した書類の一部。1945年1月末に神戸港で積み込まれた連合国側の救援物資の内容は、1945年3月16日ジュネーブの国際赤十字委員会がアメリカ政府に送付した書類によって明らかである。
●<資料
3>
アメリカ政府が送った確認のメッセージ(部分)。安全の保障、スケジュール、特徴、マークなど、すべてがチェックされている。
1945年2月1日、日本政府から伝達された阿波丸の日程、寄港地とその航路をアメリカ政府はさらに確認し、1945年2月8日、スイス外務省を通じてメッセージを日本政府に通達した。
●<資料
4>
日本政府からの再度のスケジュール変更に対して、アメリカ政府が確認したことを伝える電文(部分)。日本政府からの修正変更の通達に対し、アメリカ政府は、1945年3月3日スイス政府を通じて、修正変更の通知を確認したことを日本政府に伝達。
●<資料
5>
突然姿を消した阿波丸を探し求める日本政府は、1945年4月10日、東京駐在のスイス代表団を通じて、正式に、アメリカ政府に対してその消息をたずねた(部分)。
●<資料
6>
日本政府からの求めに対して、1945年4月10日、アメリカ政府は急きょ阿波丸沈没のメッセージを発表した(部分)。
●<資料
7>
アメリカ国務省内の緊急戦時問題処理局のプリット氏から陸軍省のホームズ大将へ送られた1945年4月4日付けの極秘の手紙(部分)。
●<資料
8>
日本政府は、1945年4月12日改めてスイス代表を通じアメリカ政府に対して、詳しい情報と責任ある説明を求めた。特に6つのことを強調した(部分)。
(1)いかなる事情のもとに、またいかにして阿波丸は沈められたか
(2)生存者の数とその姓名
(3)生存者が現在抑留されている場所
(4)生存者の健康状態
(5)生存者の待遇
(6)魚雷攻撃に関する仔細内容
●<資料
9>
アメリカ潜水艦クイーンフィッシュのラフリン艦長の阿波丸撃沈に関する報告書。1945年4月1日から4月4日迄の4日間の行動が7ページにわたって記されている(1ページ目)。
●<資料
10>
ただ一人の生存者・下田勘太郎氏を尋問して得た阿波丸に関する情報(部分)。この尋問報告書は、1945年4月8日にクイーンフィッシュのラフリン艦長が、太平洋艦隊の潜水艦隊司令官に阿波丸撃沈の報告書を送ったとき、同封されたもの。
●<資料
11>
クィーンフィッシュの航海日誌。1945年4月1日の行動範囲と霧の状況が数字でハッキリと記録されている。
●<資料
12>
1945年4月12日にアメリカ政府からの通達で確実に阿波丸が沈没したことの情報を得た日本政府は、1945年4月26日、スイス政府を通じて正式にアメリカ政府に抗議をした。全文5ページにわたるものである(部分)。
●<資料
13>
日本政府の抗議に対するアメリカ政府のスイス代表団を通じての回答(部分)。
●<資料
14>
1945年8月10日、日本政府はアメリカ政府に対して5項目にわたる賠償請求をした。
(1)2003名の乗員と乗客の生命の補償金の支払
(2)ただ一人の生存者下田勘太郎の家族に対する手当
(3)阿波丸の荷物9812トンの補償
(4)代船を得るまでの阿波丸の見積もり利益
(5)日本政府に阿波丸の代船を与えること。
●<資料
15>
「捕虜を海兵隊の警備兵に引き渡す」1945年4月14日付けのクィーンフィッシュの航海日誌に記録されている。
ただ一人の生存者は4月1日に救助さえてから、4月14日グアム島でアメリカ海兵隊に引き渡されるまでは、艦内では形式的に手錠をかけられ抑留されていた。
●<資料
16>
1945年4月16日付けクイーンフィッシュ航海日誌に「この日をもってラフリン艦長は解任」されたことが記録されている。以後、グアム島に上陸、軍法会議にかけられた。
資料1〜資料16は、National
Archives U.S. Governmentの提供
●<資料
17>
アメリカ海軍省より筆者(ミノル・フクミツ)に送られた軍法会議に関する手紙
◆ラフリン艦長の軍法会議
グアム島で1945年4月16日、潜水艦クイーンフィッシュの艦長の職責を解任されたラフリン中佐は、阿波丸を撃沈したことに対してアメリカ海軍の軍法会議にかけられて裁かれた。
・軍法会議の執行日:
1945年4月19日、20日
・軍法会議の執行場所:
中央太平洋前線地区指令部
(グアム島)
・軍法会議の種類:
一般海軍軍法会議
・ラフリン艦長に対する起訴事項:
(1)職務執行上の無能
(2)命令の不履行
(3)命令遂行の怠慢
・軍法会議の判決
(1)と(2)は無罪
(3)は有罪
1910年、米国カロライナ州生れのエリオット・ラリフン氏は、1968年、ワシントン海軍地区司令官を最後に少将になって退役。