メコン圏を対象とする

    第10回 調査紀行書・研究書

 

                    

  

  中国大凉山イ族区横断記 後編

 

    曽昭掄 著、八巻佳子 訳

    築地書館1982年7月発行

    

 前編 (本書紹介文以外に、著者・曽昭掄氏の略歴、

  訳者・八巻佳子氏の略歴、原著と本著との関係、

  大凉山イ族区横断行程などを掲載)

 

 

 1941年夏、雲南省昆明市に置かれた戦時連合大学であった西南連合大学が、四川省西南部の大凉山イ族地区に入り各種調査を行ったが、各専門分野の報告とは別に、調査団団長の曽昭掄氏がこの徒歩調査旅行の見聞・体験を取りまとめたものが、本書の原書である。大凉山地区は、四川省南部の、東は雷波、西は西昌、北は大渡河から南は金沙江にいたる、35、000平方キロにわたる高山・高原地帯である。この地域は、雲南省、四川省、貴州省を中心に中国西南各省に広く分布している彝族(イ族)固有の風俗・習慣・文化が、その長年の閉鎖社会により最も保たれている地域として知られている。

 

 この調査は、道がないような行路を徒歩で進められただけでなく、漢人の勢力が及ばなかったイ族居住地区に当時漢民族が立ち入るのは、長い間、漢民族とイ族は互いに敵対し憎みあっていたため、命がけだったようだ。ただ、漢人の商人だけは通行出来たものの、立ち入る前にはイ族の有力者である家長に保頭(ほとう)をたのまなければならなかった。それでも、自由にどこでも通行できるわけではなく、道案内をする保頭でさえ、途中で寝返り、殺されたり奴隷にされてしまう漢人が多数あったという。凉山イ族社会では、父系の血族集団が作る系列のいくつかの「家支」が互いに支配しあう事のない、ゆるやかな組織を作っており、各支派によって性向が異なるが、この調査団も、凉山で最も凶暴で恐れられていた阿侯家ほど大きくはないが、かなりあくどい呉斉家の一番おもだった若い家長である呉斉倮狗子の悪だくみの前に、危い目に遭うかもしれなかった。

 

 解放後も1956年まで存続していた凉山イ族社会の奴隷制についても、調査旅行の各地で、その実態が生々しく描かれている。凉山では、黒イという奴隷主階級に仕える奴隷階級は、一部は、黒イに捕まった漢人で、大部分は古代に黒イに征服されたイ族の奴隷階級だが、原著者たちは、イ族に襲われさらわれたり、売られたりした漢人奴隷の悲惨な状況を目にし悲しい訴えを耳にする。漢人の勢力が全く及んでいない土地の一つである烏坡の地では、町を歩いている時、イ族に襲われて捕まり、売られて転々としここに流れてきたと言う男性の漢人奴隷が、隙を見てこの調査団のところにやってきて、”生活はひどく苦しく、イ族を憎んでいるので、今度は兵隊を連れて凉山を平定して欲しい”と頼まれている。

 

 学術的な各専門分野の報告は別にまとめられて、本書はあくまで調査体験記ではあるが、著者の観察眼は多方面に向けられており、当時のイ族社会やイ族の人々の様子など余すところなく伝えている。凉山地区は海抜が高く気候は寒く産物が少ないが、主にソバ、エン麦、トウモロコシ、ジャガイモを食べており、イ族が外部より購入する主要なものは、塩と布地だ。凉山では、塩は大変重要で、羊は塩を取らないと、病気にかかって死ぬので、財産を守るため自分達が節約しても羊に与えるという。この調査団がイ族に世話になるにしても、対価は、金より塩を欲しがっている。また、イ族は、男女を問わず、家の中でも野宿でも、夜寝る時は布団など使わず、マントに似たチャルガーを体にしっかりまきつけ、頭を出して寝るのだが、布団に関してユーモラスな情景も記されている。調査団の漢人が、荷物から布団を取り出そうとした瞬間、宿泊をしていた家中のイ族たちが、いっせいに興奮しはじめ、大声をあげ、調査団の布団めがけて突進し、日っきり返してしげしげと見たりし大騒ぎをする場面だ。

 

 凉山地区の将来の地域開発の可能性についても、随所で原著者は見解を述べ、牧畜業の発展や鉱脈開発の可能性などに触れ、漢人とイ族との友好的な関係構築のあり方に言及している。原著書では、当時の時代状況からやむを得ないが、多少イ族への侮蔑的な表現が見受けられないこともない。しかし、イ族の反乱で父が亡くなり、兄弟はイ族に捕まり20年余り奴隷になったという事を少しも恨まず、一生をイ族との関係の改善に尽くそうとしている雷波の地に住む漢人の教育者を紹介し、凉山について論ずる人は黒イを抹殺しろという意見が少なくなかった当時、「辺地にこうした人材があるのは貴重だ」とも語っている。

 

 尚、本書の冒頭では、「凉山イ区について」として、イ族のおいたちイ族の文化イ族の生活イ族の家庭と社会凉山イ族の反乱史についての原著者による解説がまとめられており、訳者による詳細な注釈と訳者あとがきとあいまって、読者の理解を助けてくれる。更にイ族の奴隷や占い師などの写真、四川省民族研究所提供によるイ族関連の諸々の写真と、貴重な資料が掲載されているのが、嬉しい。

     関連テーマ

 

凉山イ族

 

イ族は、中国の西南部、雲南省東部と四川省西南部の寗属(にんぞく)地方一帯中心に住んでいる。

 

むかし、漢人はイ族を「猓玀(ロロ)」または「猓猓(ロロ)」と呼んでいた。中華人民共和国成立以前は、漢人はイ族を、独立倮羅(ロロ)と呼ばれた。

 

歴史的には元・明・清政府の時期をつうじて、たえず中央政府の攻略をうけてきたが、天然の要塞を盾に、独立勢力圏を守りつづけてきた。民国時期になった1919年、イ族は凉山周辺の漢民族居住地区に攻め込み、一時的に勢力圏を拡大した。

 

 

 

凉山イ族社会の奴隷制度

 

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   凉山イ族社会の奴隷制度

解放後の1956年まで存続した四川省南部・凉山イ族地区の奴隷制度

 

 

 

彝(イ)語

 

イ族の言語は、漢チベット語系イ語族イ語支に属している。同じ語族のイ語支の言語には、このほかに、哈尼(ハニ)語、リス語、納西(ナシ)語、白(ペー)語、阿昌(アチャン)語、ラフ語、土家(トウジャ)語などがある。これらの言葉を使う民族は、土家族以外は多くは、雲南、貴州、四川に住んでいる。尚、土家族は、貴州、湖南境界の山地を中心に居住。

 

イ語は、6つの方言に分かれる。

(1)東部の方言・・・貴州の威寧、雲南の尋甸、禄勧のイ語を代表とする

(2)南部の方言・・・雲南石屏県のイ語を代表とする

(3)東南部の方言・・・雲南省宜良、弥勒のイ語を代表とする

(4)西部の方言・・・雲南省巍山のイ語を代表とする

(5)中部の方言・・・雲南省大姚のイ語を代表とする

(6)北部の方言・・・大小凉山とその近隣十数県に住むイ族が話す言葉。この方言を使うのは、主に「諾蘇」や「聶蘇」と自称するイ族支系で、全イ族人口の約35%を占める最大の方言区

 

 

昭覚凉山イ族地区の中心地)

 

昭覚県城の東南で、三湾河と昭覚河の2つの河が合流して西渓河になるが、昭覚の旧県城は、この2つの河の合流地点の近くにつくられている。ここはもと、2つの河が交わりあうという意味の「交角(チャオチャオ)」という地名の湿地だったが、その後、訛って、「交脚(チャオチャオ)」となった。清末(19世紀末)に、県が置かれてから、発音をとって「昭覚(ジャオチャオ)」と改められた。