メコン圏を舞台とする小説   第10回   

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 著者紹介

立松和平 

  (たてまつ・わへい)

 

作家。1947年栃木県宇都宮市生まれ。早稲田大学政経学部卒業。

 在学中に『自転車』で第1回早稲田文学新人賞、1980年に『遠雷』で第2回

野間文芸新人賞を受賞。86年には、アジア・アフリカ作家会議の「1985年若い作家のためのロータス賞」を受賞。1993年『卵洗い』によって第8回坪田譲治文学賞受賞。

 世界各地を旅する行動派の作家として、紀行文・フォトエッセイはもちろん、これまでに 『性的黙示録』(トレヴィル) 『百雷』(文藝春秋) 『卵洗い』(講談社)『贋 南部義民伝』(岩波書店)ほか、数多くの小説を発表している。

 絵本に『山のいのち』(ポプラ社) 『青空』(青弓社)がある。

   

ストーリー展開時代

 

・1970年(推定)

 時代について明記はないが、著者が

 大学生であった1970年に横浜から

 香港経由、船でタイ・カンボジアの旅

 をしていることから

 

ストーリー展開場所

 

・横浜

・香港

・タイ

・カンボジア

・ビルマ

  (ラングーン、パガン)

 

登場人物たち

 

・峰夫(東京の私立大学3年生)

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・板前の日本人男性

  (バンコクのホテルでの板前)

・バンコク在住の旅行現地ガイド

・日本人の若い女性

  (父親がサイゴンで貿易の仕事)

・マックス(アメリカ人男性)

・マダガスカル島出身の黒人ボーイ

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・香港・タイの売春婦たち

・バンコクの安宿で同宿のドイツ人男性

・長山(市役所勤務の

   日本人男性旅行者)

・石井(バンコク在住の印刷屋)

・日本人男性の獣医

・ラングーンの若い男

などなど

   

     

  

   

            「熱帯雨林」 

        

    立松和平 著、

    1983年7月、新潮社

    (この作品は「波」1980年12月号より82年4月号まで連載された)

 

 



 著者の立松和平氏は、世界各地を旅する行動派の作家として知られ、数年前テレビ朝日系「ニュースステーション」でメコン圏の河紀行シリーズを担当されていたのを覚えておられる方もあろう。立松氏は、1947年栃木県宇都宮市生まれで早稲田大学政経学部卒業。在学中より文筆活動に入り、1980年『遠雷』(第2回野間文芸新人賞)で広く知られるようになった。地方都市の郊外を舞台に都市開発が進み、農村・農家が変貌する中で、溢れる青春の激情をもてあましている青年が生々しく描かれていた。今回紹介する作品『熱帯雨林』は、著者が大学時代に東南アジアを初めて旅した時の事を題材とした初期の作品だ。

 

 主人公・峰夫は、東京の私大3年生。「教授の顔が遥かかなたに見える階段教室や、四畳半の下宿は、自分の場所ではなく、間歇的に湧き上がる日常への破壊衝動をどう抑えてよいかわからず、今ある姿とは別のものになりたいという欲求に苦しめられていた。身のまわりにあるものはすべて取るに足らなく見え、そんなつまらないものが自分をこの場に無理矢理留めておくのだと思うと、たまらなかった。絶対に欲しいものの、こだわらなければならないこともなかった。」

 

 峰夫は、はっきりした目的もなく、横浜から香港を経由してバンコクに向かう船に乗った。横浜を出たときから、いろんな人に出会いいろんな場面に出くわすことになる。船上で知り合う日本人たちでさえ、なにやら怪しげだ。峰夫に対し「気楽そうな顔してら。俺なんか必死だもんな」と言い放った同じ船室の男は、「東京じゃいくら働いても高が知れてるから」と、バンコクでホテルの板前をやりながら日本料理店を持とうと思っていると言う割に、カレーライスと焼きそばしか作ったことがないような男だ。日本を憎んでいるという別の同室の男は「馬鹿な団体客騙して、マージンをがっぽり稼ぐ」という旅行の現地ガイドだ。

 

 バンコクで下船後も、タイ、カンボジア、ビルマと土地を変えながら、峰夫の旅が続く。安宿での奇妙なドイツ人の同宿人、性病を移したタイ人売春婦、タイで印刷屋を営む日本人、カンボジアで知り合う国際協力に関わる日本人獣医など、峰夫が出会う人たちも多彩だ。立松作品でよく使われる市役所勤務という職業の男も登場する。世界中を旅して回るために3年間貯金した金とパスポートを、最初のバンコクでタイ人たちにすっかり騙し取られてしまうのだが、この男の日本での生活、旅に出ようと思った理由、隣にいた職場の同僚の話などについての語りはなかなか寂しいものがある。

 

 猥雑、乱雑なアジアの情景描写が上手く、袋小路や入り組んだ路地のある裏町、活気のある市場と広場、ひなびた安宿、けだるさをひきずるような売春婦など、熱気やむれた匂いが全編を通してむんむんと伝わってくる。果たしてアジアの放浪の旅は、日本で感じる行き場のないわけのわからぬ闇雲な衝動を慰撫したり、無気力感・閉塞感を打破するきっかけとなるのであろうか?峰夫自らもタイ人女性たちに騙され、また傷ついているいろんな人に出会い、日本で見つけにくかったいろんな刺激をこのアジアの旅から受けたことは確かであろう。