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「カンボジア綺譚」
三宅 一郎 著、
1994年8月、作品社
ISBN4−87893−197−3
本書著者の三宅一郎氏(みやけ・いちろう:1910年〜2002年)は、東京外国語大学仏語科卒業後、外務省に勤務し、第2次大戦末期、プノンペン領事館員としてプノンペンに赴任されているが、戦前よりアンコール遺跡に興味を持ち、日本での紹介や文献翻訳を行った先駆的な存在だ。フランス東洋学院所属の考古学者でカンボジア芸術管理官でアンコール学の一権威であったグロリエの著作の邦訳『アンコオル遺蹟』(1943年、新紀元社)や、フランスによる19世紀後半のメコン河探検隊メンバーであったドラポルト(第1回隊員、第2回隊長)の著書の邦訳『カンボヂャ紀行』(1944年、青磁社)、『考証真臘風土記』(共著、1944年、同朋舎出版)と、プノンペン赴任前の戦時中に既にカンボジア関連の大作を手がけている。
本書は、こうしたアンコール遺跡関連の文献翻訳や研究書ではなく、第2次大戦期のプノンペンを舞台としたフィクションで3話が収められている。幼い頃より探偵小説に親しみ、戦前から江戸川乱歩と親交があり、日本推理作家協会名誉会員でもあった著者が著した本書は妙に妖しくなんとも不思議な作品だが、モチーフとしたカンボジアの民間信仰や神話伝説は、物語中ではあくまでファンタスティックなものではあるものの、著者が戦時中プノンペン領事館員として赴任していた際に見聞したものを基にしており、また登場人物の大半も実在した人たちとのことだ。第一話の冒頭では、ストーリー展開時のカンボジアについて以下のように記している。
”・・・そのころのカンボジアはフランスの保護国になっていて、若い王ノロドム・シハヌークのもとに形ばかりの内閣があったが、軍事外交はもちろんのこと政治の実権はフランス理事長官、俗にいう高等弁務官が握っていた。市役所でも警察でも、主要ポストはフランス人で占められ、なんのことはない実質はフランスの植民地であった。そのカンボジアの首都プノンペンの当時の人口は約40万、2百キロ北の大湖(トンレ・サップ)から発しているトンレ・サップ川に沿った南北に細長い町。南のはずれが<四つ腕(キャトル・ブラ>と呼ばれている景勝の地点で、カンボジア人はチャトムック(四面)と呼んでいる。川は、<四つ腕>で大河メコンの本流と合流し、その場で更にバサック川に分かれて雄大な景観になっている。プノンペンは、カンボジアの古い町であるが、フランス人が彼らなりに整備してきただけあって、ほんとうに瀟洒なこぢんまりした都市になっている。マンゴーやウチワヤシの街路樹が並んだ広い道路や上下水道の設備、タマリンドや旅人木が緑の蔭をつくっている美しい公園、博物館や病院、フランス人専用のプールなど、フランス人のためだけを目的にした施設はすべて完備しているが、なるたけ現地民には不便なように、つまり「未開」の状態にしておくという植民地政策によって、鉄道はタイ国境へ通じるのが一本だけで、トンレ・サップ川やメコン河の上流下流とも何処にも橋をかけていない。昔ながらの渡し舟で、人も車もうんざりするほど時間をかけて渡らねばならなかった。・・・”
3話はまったく別々の話ではなく、主となる登場人物は同じで話がつながっている。各話には、”へび女”、”雨ばくち”、”真昼の魔法娘”、と興味をそそられるタイトルが付けられているが、本書表紙の絵もまた妙に妖しく惹かれてしまう。著者自身が戦時中、領事館員としてプノンペンに赴任していただけに、市井の人々が活写され、プノンペンの当時の時代の雰囲気を知ることができるのも嬉しい。カンボジア人やフランス人だけでなく、日本人、広東人、潮州人、ベトナム人、インド人、マレー人、チャム人、タイ人など、プノンペンに寄り集まるいろんな国籍の人たちが登場し、また、酒場、高級フランス料理店、茶館、市場、下級な紅燈街、公認の阿片吸煙所、賭場、寺、中華街、ホテルなどと、登場シーンも様々だ。日本人についても、軍の御用商社として機能する日系商社の話だけでなく、カンボジアに進駐してくる日本軍兵士の事も取り上げている。
3話に共通して登場する人物には、まず”私”と1人称で登場する日本人・滝三郎がいる。滝三郎は、ただ競争が少ないという理由で仏文科を選び大学を出て東京の私立中学の英語の教師になったが、叔父の紹介で、妻子を日本において日南通商という商社の一員としてカンボジアに赴任していた。その滝三郎がケム・クマイというカンボジア人男性とプノンペンで親しくなった。ケム・クマイは、プノンペンのリセ(高等中学)を出て、ハノイの大学で遊び、帰ると間もなく父親が死んで広大な土地と大家族を引き継いだ男で、茶目っ気と任侠的なところがある男だ。生来の女好きで、きっぷがよくて人情味があり、みんなから好かれて信用され、いろいろな相談事をもちこまれるようになり、それを誠実に聞いてやって、揉め事などの面倒をよくみてやる男で、一人の子分もいないし、ヤクザでも貸元でもなかったが、顔役とか親分と思われていた。
第1話の”へび女”では、ケム・クマイが”女大蛇のナーギの化身”と言って怖れて逃げ出す、ソーンという名前のかわいらしく美しいスライ・クマイ(カンボジア女)に関する話。本人の話によると、彼女は大湖の西側のプルサトの生まれで、バラモンの子孫である父親は神職をしているとのことだが、彼女は、しつこくとことん男をむさぼり、絶頂の時に痙攣しながら大蛇のように男を締めつけ、男を枯らす魔性の女であった。なかなか色っぽいシーンも多々登場するとともに、”大昔の都には高い塔があって、その頂上の部屋に蛇女神ナーギが棲んでおり、王は、毎夜、その女神と交わってから妻妾のところへ戻る。一晩でも怠ると、王が死ぬか、凶作、洪水その他の災害があるとされた。”というカンボジアの伝説や、”大昔、<つるみ蛇>という意味のネアッポンの御堂がある池で王さまが大勢の宮女と水浴びをし、気に入った女と御堂に入って交わった”という言い伝えが、引き合いに出されている。
ケム・クマイは賭け事も好きで、闘魚(トライ・チョール)や「赤犬(チケー・クラーム)」というカード遊びも詳しく紹介されている。”ニワトリ勝負の胴元や世話人にはベトナム人が多いが、魚の方はカンボジア人が取り仕切っている”とも書かれている。第2話も、”雨ばくち”というタイトル通り、雨季に入ったプノンペン名物の珍しい賭け事、雨バクチ(レーン・プリーン)にまつわる話だ。手の甲に水牛の頭の絵のイレズミがあるクイ族の下男を連れている若い娘が、自分とケム・クアイの妻を賭けて、ケム・クアイに雨バクチの勝負を挑んでくるのだが、これまたクイ族の話も交え不思議で妖しい話となっている。
「とうとうプノンペンにも日本軍がやって来た。」という文で始まる第3話の”真昼の魔法娘”では、滝三郎が隣家の大家の孫娘と一緒に、朝の勤行が行われる近くの寺に初めて出かけた時に、第1話で登場してきたソーンと出会い彼女から声をかけられる。そして滝三郎もソーンに絡みつかれることになる。第3話では病人に対する祈祷師やインド人の魔法使いが登場するが、第1話でも触れられたいろんな惚れ薬の話題は驚きだ。尚、本書には、カンボジア綺譚うらばなしと題した別冊子が付されており、こちらもなかなか興味深い。著者のプノンペン赴任にあたっては、北京大使館からプノンペン領事館へ転勤の辞令を受けた著者は、1945年2月17日、門司港を出港した1万1千トンの阿波丸に便乗してサイゴンに向かったとのことだ。その阿波丸船上でのモーニング姿の著者の写真が掲載されている。
本書の目次
第1話 へび女
第2話 雨ばくち
第3話 真昼の魔法娘
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