■メコンプラザ・トップページ■
■バックナンバー情報紹介版に飛ぶ■
「12のルビー」 ビルマ女性作家選
前編*
マウン・ターヤ 編、
土橋泰子/南田みどり/堀田桂子 訳
1996年2月(新装版)、 段々社
ISBN4−7952−6512−7
《注*:書籍そのものは1冊の単行本だが、2回に分けて紹介》
発行社・段々社のホームページ(本の購入申し込み可)
本書は、1989年に刊行されたものに若干手を加え、不備を訂正した新装版。
この邦訳書のタイトルは『12のルビー』と題されているが、原書は、ビルマの作家・編集者であるマウン・ターヤ(Maung
Thaya)氏が編集した『Yane Myanmar Wuthtudomya』(ヤーネ・ミャンマー・ウットゥドゥ)。ビルマ語の意味は「現代ビルマ短編小説集」で、1985年Sapay
Lawka Pressより刊行されたもの。本邦訳書は、選考された12作品の現代短編小説集となっているが、すべてビルマ人女性作家によるもので、12人の様々な作家の作品が味わえる。
作品は、後述のように、ビルマの各種雑誌などの出版物に、1974年から1984年までの間に発表されたもので、編者の選考「基準」は、(1)リアリズム文学であること (2)現代のビルマ国民の状況を描いていること (3)今日のビルマの政治、経済、社会状況を何らかの形で反映していること。そして当然ながら、芸術的であること とのことだ。編者は、「女性作家が男性よりもはるかに思考の切れ味もよく、ものの見方も清澄で、筆致が大胆であることを認識した」とも語っているが、男性作家との比較はともかく、確かに本書を一読すれば、多くの方がこの編者と同じ思いをされるのではなかろうか?ビルマの厳しい社会状況の中、その上、検閲の障害があることを思うと、この女性作家たちの強い情熱・思いや文学の深さ・重さを改めて感じる。
本書に収められた作品が書かれた1970年代半ばから1980年代半ばまでは、ビルマ文学の「女性作家時代」とも呼ばれ、実社会の矛盾がうっ積する現実の中で、庶民の様々な人生を描写し、社会の問題を抉り出すとともに人生を真摯に見つめる「人生描写小説」が、いろんな経歴の女性作家たちによって発表されている。本書収録の12作品についても、その作家の年齢や執筆歴、職業なども様々であるが、その作風・スタイルや、設定舞台や登場人物なども様々で、広くビルマ社会やビルマ文学に触れることができる。一般には余りなじみのないビルマ社会の庶民の生活についても、左記にあるように、様々な分野についての訳注がたくさん用意されているので、作品理解に困らないし、またこの訳注を読んでいくだけでもビルマ社会の習慣などに関心が持てる。
ビルマ軍人青年の抗日独立闘争を愛をからめた長編小説『我が祖国』(井村文化事業社から田辺寿夫氏の訳で1982年邦訳本刊行)を1961年に発表しているベテラン女流作家キンスェウーの短編小説『行列』が最初に掲載されている。電気料金の支払のために並ぶ長い行列の中での見知らぬ哲学的な女教師との会話というありふれた日常的な風景の中で展開する11頁の超短編で、いきなり短編小説の魅力に出会える。
1925年生まれで1948年から文壇に登場した戦後ビルマの女性作家の先駆者的存在であるキンフニンユの作品からは、『ゆりかごを揺らす手』が取り上げられている。モヒンガー屋をやりながら6人の娘を育て上げ今は病床の夫の世話をする年老いた母と唯一人独身の娘とのやり取りの中から、平凡な女性のたくましさが描かれている。尚、キンフニンユはウー・ヌ元首相のいとこにあたり、ウー・ヌ内閣時には首相の秘書官を務めていた。
『欠けている所を埋めて下さい』(堀田桂子訳、井村文化事業社)の邦訳本もある設計技師として勤務する兼業作家のマ・サンダーの作品としては、『「諸々の愚者に近づくことなかれ』とは言うけれど・・・」。仏陀が人間が幸せに至るために必要な38の項目を説いた護経の中で一番始めに説いたという「諸々の愚者に近づくことなかれ」(バーラーナン アティワナーサ)を作品タイトルにうまく使い、社会風刺を行っている。文盲で蒸しもちなどを売りながら苦労して女手一人で育てた娘も、「愚者」の男とつきあい哀れな死に方をし、残された孫に期待する祖母が描かれる。孫が成長し社会人となる中で、バカな人間、悪い人間、豊かになる人間、バカ正直な人間、要領の良い人間とは何かを問いかけている。
次回は、上述3名の作家以外の本書掲載作家残り9名の作品を紹介するが、1958年生まれのジューなど1950年代の女性作家たちや、1984年に短編小説を書き始めたばかりというヌヌイー(インワ)などの新進作家たちも含まれている。
本書巻末には、1986年〜88年、留学生としてビルマに暮らした原田正美氏による特別付録が併載されている。ここでは、ビルマの出版事情や、雑誌の短編小説、女性作家の活躍とビルマ文学状況の解説とともに、本書の原著者12人への本書の作品を書いた動機や近況などについてのインタビューが紹介されている。
ビルマの社会や人について深く知ろうとしても、まだ情報やアクセス方法などが限られているが、、井村文化事業社や大同生命国際文化基金などいくつかの出版社・財団や、本書訳者の方々の熱意のおかげで、ビルマの文学の邦訳本は意外かもしれないがそれほど少なくはない。ビルマ実社会の現実問題や、ビルマの人の心の意識などを深く知る上でも、これらの短編小説集や中・長編小説の邦訳本は貴重だが、本書をきっかけにビルマ文学に関心を持たれる方には、是非他のビルマ文学邦訳本も次々と味わってもらいたい。
尚、特にビルマ女性作家陣やビルマ女性の社会的、文化的意識に関心をもたれた方には、本書収録作品の時代より後に書かれた作品を集めた『ミャンマー現代女性短編集』(南田みどり編訳、2001年10月、財団法人大同生命国際文化基金)がお薦め。この書では1985年から1999年に書かれた作品を中心に現代ビルマの女性作家21名の作品が収められている。
本書の目次 & 各短編の原著者紹介
<日本の読者のみなさんへ> マウン・ターヤ
■ 行列 キンスェウー
(『スィッピャン』誌1980年7月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:1933年、上ビルマのザガイン市に生まれる。父親は作家の
故マハースェ。マンダレー大学で学士号を取得。高校教師となる。
その後教育大学で教育学士号を取得。現在は婦人雑誌『ザベー
ピュー(白いジャスミン)』を自ら編集、発行している。25歳の時か
ら雑誌などに短編小説を書き、28歳で最初の長編小説『わが祖国』
を発表。今日までに長編小説60編以上、短編小説300編以上を
発表している。
■ 「諸々の愚者に近づくことなかれ」とは言うけれど・・・ マ・サンダー
(『チェリー』誌1984年9月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はチョウチョウティン。1947年、ラングーン市に生まれる。
父親は作家のマンティン。ラングーン工科大学に学び、建築学士号
を取得。現在は建築省第二建設公社の設計技師。1965年に短編
小説を書き、文学界にデビュー。今日までに単行本11冊、その他雑誌
などに短編小説50編余を発表している。
■ 持たざる者の愛 マ・フニンブエー
(『グエーターイー』誌1974年2月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はミャミャタン。1946年、モウゴウ市に生まれる。ラング
ーン大学に学び、理学士号を取得。1968年から80年までラング
ーン病院放射治療科にて技師として勤務。現在は情報省出版局
副編集長。1967年に長編小説『霞たなびくところ』で国民文学賞
受賞。現在も短編、長編小説を発表している。
*1990年ドイツでジャーナリズム学博士号取得。
■ 母なる先生 キンミャズィン
(『モーウェ』誌1979年6月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はティティミン。1956年、シンビュウヂュン市に生まれる。
ラングーン経済大学に学び、経済学士号を取得。1975年、『経済
大学年刊雑誌』に短編小説を書き、文学界にデビュー。1979年から
数多くの雑誌に短編小説を発表している。
■ 太陽と月 チューチューティン
(『グエーターイー』誌1982年12月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はキンタンウィン。1942年、イラワジデルタ地帯のワケマ
市に生まれる。ラングーン大学に学び、文学士号を取得。1957年の
高校在学中より詩、小説、戯曲、エッセイを書き始める。1981年に短
編集『ジャスミンの花輪とガモン花』で国民文学賞受賞。今日までに
長編の単行本14冊、短編180編余を発表している。
■ ゆりかごを揺らす手 キンフニンユ
(『マヘティー』誌1984年10月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:本名はマ・キンス。1925年、ワケマ市に生まれる。22歳の時
当時の政権政党反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)本部で職務
に就きながらニュース解説文などを書き始める。その後ウー・ヌ元首
相の秘書官を務める傍ら大学生活を続ける。ラングーン大学で学士
号取得。1948年から短編小説を書き始める。1960年にサーペー
ベイマン賞委員会から短編小説集賞受賞。諸事情により約十年間
休筆後、いま再び短編小説を書き始めている。
■ 切葉丸扇の葉を傘にして ウィンウィンラッ
(『シュマワ』誌1982年8月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はウィンウィンシェイン。1951年生まれ。軍幹部の父親の
転勤で、幼少より各地で教育を受ける。ラングーン第一医科大学で
医学士号をを取得。その後ラングーン病院などで医師として勤務。
医学生の1974年から短編小説を書き始めて現在に至る。
■ ロマンティック・ゴースト ジュー
(『シュマワ』誌1982年3月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はティンティンウィン。1958年、イエナンジャウン市に生ま
れる。マンダレー医科大学卒業。現在はイエナンジャウン市協同組合
診療所にて医師として勤務。1979年、『マンダレー医科大学年刊
雑誌』に短編小説を書き、文学界にデビュー。現在は雑誌に短編小説
を発表している。
■ 一枚のタメイン ヌヌイー(インワ)
(『シュマワ』誌1982年3月号初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はヌヌイー。1957年、インワ市に生まれる。マンダレー文
理科大学に学び、理学士号を取得。1984年に本短編で文学界に
デビュー。現在は短編と長編小説を執筆している。
*1993年に長編小説『ミャセインビャー通りの人々』で国民文学賞
受賞。
■ そのまなざし モウニェインエー
(『シュマワ』誌1978年12月号初出/南田みどり 訳)
原著者:本名はティンモウエー。1944年、ラングーン市に生まれる。ラン
グーン大学に学び、文学士号を取得。現在は高校教師。1961年に
詩と短編小説で、文学界にデビューした。
*高校教師の傍ら長短編30編を発表。1993年没。その後、短編集
と長編小説が1冊ずつ刊行された。
■ ケッガレィの耳飾り ミャフナウンニョー
(『第二医科大学年刊雑誌』1982年刊初出/堀田桂子 訳)
原著者:本名はキンレィニョー。1949年、タウンジー市に生まれる。ラン
グーン第二医科大学に学び、医学士号を取得。現在はインセインの
協同組合診療所などで医師として勤務。1978年から文芸雑誌に
短編、長編小説を発表。1984年に長編小説の単行本を3冊出した。
■ ニョウピャーはコーリャ川のほとりに住む
モゥモゥ(インヤー)
(『サーペィロウッター』誌1981年5月号初出/土橋泰子 訳)
原著者:本名はサンサン。1945年、ダイウーに生まれる。ラングーン大
学に学ぶ。大学時代、女子学生寮インヤー寮に暮らしたのに因んで
モゥモゥ(インヤー)というペンネームをつけた。1974年に最初の長
編小説『道なき道を手探りで』で、80年に『雑誌発表長編小説集』、
82年『短編小説集1』、87年『短編小説集2』でそれぞれ国民文学
賞受賞。今日までに、長編小説約20編、短編50編以上を発表して
いる。
*1990年没。
訳 注
巻末付録 原田正美(はらだ・まさみ)
(1986年10月〜88年10月、文部省派遣留学制度でビルマに留学。
現在<発刊当時>、大阪外国語大学ビルマ語学科非常勤講師)
訳者あとがき
作家たちの経歴について初版から特筆すべき変化のあったものは、それぞれの
訳者が作者紹介の欄に加筆(*の部分)。
|