第7回  メコン圏現地作家による

小説・文学 

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        「その名はカーン」 

           

     SUWANNI SUKHONTHA

       (スワンニー・スコンター) 著、

     岩城雄次郎 訳、1988年2月、

     井村文化事業社刊 

           ISBN4−326−91088−7

     

             

 本書『その名はカーン』は、タイの女性作家スワンニー・スコンターによる長編小説「Khau chww Kaan」(カーウ・チュウ・カーン)の邦訳作品で、原書は1968年に創設されたSEATO(東南アジア共同防衛条約機構)文学賞の1970年度受賞作。尚、SEATO文学賞は、タイから3人の女性作家が受賞しており、本書以外では、クリッサナー・アソークシンの『人間の舟』が1968年度受賞、ボータンの『タイからの手紙』が1969年度受賞、1972年度受賞には、再度クリッサナーの『落日』が受賞。SEATO文学賞は1977年にSEATOそのものが解体し消滅したが、その後1979年に新たに東南アジア文学賞(The S.E.A. Write Award)が設けられている。

 

 書籍の題名たる「カーン」とは、本書の主人公で理想に燃える青年医師の名前。カーン医師は、美しい女性ハルタイとバンコクで出会い結婚する。そしてカーン医師は新妻を伴って北タイの辺鄙な無医村へ赴任する。しかしながら、カーンの誠実さや真摯な態度に好意を持ったハルタイではあったが、生まれ育ったバンコクとは余りにも違う不便で苦労が多い生活や、私欲がなく公的な仕事一筋に尽くす夫カーンに不満を抱き彼との貧乏な結婚生活への後悔の念を抱き始める。そして一人バンコクに一旦戻った時、学生時代ずっとつきあっていた大金持ちの息子でスマートな独身青年のトーモンに誘われバンコク郊外に二人きりでドライブに出かけるが、チョンブリー辺りで交通事故にあい、記憶喪失症になってしまう。

 

 カーン青年医師が理想に燃えて赴いた地には、私欲を肥やすことに余念がなく、権威に笠を着る腐敗した郡長とその取り巻きたちがおり、この小説は、カーンとハルタイとの関係が、トーモンも絡んでどうなっていくのかという展開とともに、彼らに媚びず妥協を許さないカーン医師と郡長との確執を中心に話が進展する。カーン医師は親切で威張るような事がなく、本当に困っている人や貧乏人に頼られるが、郡長との確執は、遂にはカーン医師を快く思わない郡長から手下の殺し屋を使って命を狙われることになる。この作品は、SEATO文学賞を受賞しただけでなく、タイで映画化され評判を呼びロングランとなったが、映画では原作のラストシーンである、カーンが撃ち殺されるシーンから始まり、それからカットバックの手法でストーリーが描かれている。

 

 小説の方は、カーンとハルタイが、バンコク市内の豪華なホテルで、催された結婚披露宴の場面から始まっている(カーンは豪華な披露宴には懐疑的であるが、ハルタイの母親に押し切られている)。父親を幼い頃なくし、大学の近くに小さな食堂を営む母親に一人娘として育て上げられたハルタイは、とても美しく明朗で、いつも目立ち大学時代はスター的存在で、バンコクの大きな一流ホテルで案内嬢として仕事をしている女性。生れた時からバンコクにいて地方の田舎で生活したことがなかった彼女が、進歩とは隔絶した東北地方の田舎で育ち、地味で真面目で貧乏な青年医師カーンと、果たしてうまくやっていけるのか、読者の誰でもが疑ってしまうはずだ。これに加えてカーンとは価値観がかなり異なるハルタイの母親がおり、更にカーンとは対照的なハルタイの元ボーイフレンドがハルタイをあきらめていないとなると、なおさらだ。

 

 この長編小説のストーリーの展開の色々な場面で、大都会バンコクとタイ地方部との間にひろがる生活格差、都会社会の地方への無理解と見下し、富と権力という力を持つものと持たないものの差異、学歴社会と教育機会の不平等、政治・行政の腐敗、タイ上流社会の実態、子弟の外国留学や頭脳の海外流出、公務員と私腹肥やし、法の執行の不平等などといったタイの社会病理が鋭く抉り出されている。”金というものはいつも悪賢い人間の手に渡ってしまうものである。愚か者や希望の無い者がせっせと働いて金持ちをさらに富ませる。これが今のわが国の社会に見られる現実の姿なのだ”とも書いている。理想と生計、理想・奉公と個人・家庭の生活・幸福、理想と周囲との妥協・つきあいなど理想と現実との間でどう生きるかという人生観に関わるテーマも大きい。”理想なんて食べられないものである事はたしか”とか、今の時世要領よく生きれないものは水牛より馬鹿だと決めつけられるとかいったセリフが登場する。

 

 本書のストーリーは、大都会バンコクとその郊外、及びカーン医師と新妻ハルタイが赴き生活を始めた北タイの辺鄙な地方との間で展開するが、この北タイの地方の場所については特定の地名は書かれていない。ただヨム川がその郡を貫流しているとある。川幅が狭くて深く、流れは早いと本書で書かれているヨム川は、チャオプラヤー川の支流で、ラオス国境近くのタイ北部の山脈から南下しナコーンサワンの辺りでナーン河、チャオプラヤー河へと合流するが、プレー、スコータイの北タイの県庁所在地の町にもヨム川が流れている。原著者の故郷ピサヌローク県もその西南部をヨム川が流れているが、但し県庁所在地のピサヌロークの町を貫く川はナーン川。

 

 洪水に苦しんだり、蛇にかまれ命を落とす人が多い過酷な土地の自然条件に触れ、辺鄙な片田舎の不便さやいやらしい人物も登場はするが、ゆったりとした生活のリズムと自然と深くともにある地方の生活や純朴で人の良い地方の人たちも十分に描かれている。自然とか地方・田舎への深い意識が感じられる。本書に登場する魚の種類をはじめタイ特有の事物や言い回しも少なくないが、100を越える訳注が用意されている。

 

 本書の訳者・岩城雄次郎氏による『タイ現代文学案内 変動する社会と文学者たち』(弘文堂、1997年5月刊)によれば、本書は作者のスワンニー・スコンターが彼女の郷里であるタイ中部のピサヌロークで実際に起こったある事件と人物をモデルに書いた長編とのことだ。

 

 原著者のスワンニー・スコンターについては、彼女の自伝的エッセイが邦訳され(原題「動物園」)、「サーラピーの咲く季節」(吉岡峯子 訳、段々社)として刊行されているが、麻薬に溺れ死んだ息子を悼んで書いたノンフィクション「ナンプーは死んだ」も映画化され(ユッタナー・ムクサーダニット監督、1984年、ファイブスタープロダクション制作)大ヒットした。しかしながら、本人自身1984年2月、市場で買物をしての帰り、バンコク郊外で彼女の乗用車BMWを奪おうとする2人の少年に襲われて殺害されるという不慮の死を遂げている。

 著者紹介

スワンニー・スコンター

 (Suwanni Sukhontha)

 

 1932年、中部のピサヌローク県に生まれる。

 国立芸術大学美術学部を卒業後、母校で教鞭を取りながら、挿絵や小説を書いてあちこちの雑誌に発表。

 1963年、処女作「ブックへの手紙」が週刊誌「サットリーサーン」に掲載される。最初の長編小説「愛の炎は消えず」で名声を博すると、大学教師をやめて創作に専念。

 1970年、「その名はカーン」でSEATO(東南アジア条約機構)文学賞を受賞。1972年、小説「愛の翼で」でタイ国図書館協会文学賞を受賞。婦人雑誌「ララナー」を創刊し、編集長を務めるかたわら創作活動を続ける。

 発表した長編小説は二十数篇を数え、問題作が多い。他に短編小説、旅行記、自分の身辺に取材したノン・フィクションなど多数。

 1984年2月、バンコク郊外で強盗に襲われ、52歳で不慮の死を遂げる。

 

  (本書紹介文より)

 訳者紹介

岩城雄次郎

   (いわき・ゆうじろう)

 

 1935年 東京に生まれる。

 1960年 東京外国語大学タイ語科

        卒業

 1970年〜1977年

   タイ国チュラロンコン大学文学部

   客員講師として日本語を教える

   かたわら、タイ文学の研究に励む

 1978年〜1985年

   東京外国語大学非常勤講師とし

   てタイ文学概論およびタイ語教育

   を担当

 1987年以降

   産業能率短期大学教授。

   日本ペンクラブ会員(国際委員)

   日本翻訳家協会理事

 1995年 産業能率短期大学教授を

   辞任、文筆業に転身

 1997年 日本文藝家協会会員

 

  <著書、訳書>

「日タイ比較文化考」(著書)

「ぼくも、シャム行きさん」(創作小説)

「暹羅国武士盛衰記」(創作小説)

「英語対照タイ語会話」「タイ語28課」

「実用タイ語会話」(共著)

「妖魔」(セーニー・サウワポン)(訳書)

「おしゃかさまものがたり」

 (チンタナー・バイカスージー)(訳書)

「現代タイ国短編小説集」上・下巻

  スチャート・サワッシー編(訳書)

「世界短編名作選東南アジア編」(共訳)「タイ現代詩選」 他

 

 

 ストーリー展開時代

 

1960年代末

 

時期について具体的なことは明記されていないが、「今の時代は人が月に上陸するというのに・・」という登場人物のセリフがある。

 

主なストーリー展開場所

 

北タイのある地方

  <特定の地名の明記なし>

   ヨム川沿い

 

バンコクとその郊外

  王宮前広場、

  サンデーマーケット

   (この小説が書かれた当時は王宮

   前広場で開かれていた)

  ランシット、ゲーソーン、

  シリラート病院

  バーンセーン、チョンブリー

 

 

 作品の主な登場人物

 

・カーン

・ハルタイ

・トーモン(ハルタイの元ボーイフレンド)

・ハルタイの母親

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・アネーク(郡長)

・マニー(郡長の妻)

・ミー(用務員)

・チャン(ミーの妻)

・チュア(ミーの娘)

・ダムクーン(警察中尉)

・ヨン(商売人)

・ヒアン(ヨンの妻)

・チュート(郡長の子分)

・グン(チュートの子分)

・ワン

・クローイ(区長)

・ミン(船乗り)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・ソムスック

  (ハルタイの学生時代の女友達)

・ウィチャイ

  (ソムスックの夫でエンジニア)

・サムルーン(カーンの先輩で医師)

・チャムノート(研修医師でカーンの学友)

・ピロム(薬品販売会社員)

・パックディー(衛生局の高官で医師

   トーモンの叔父)

・チャルワイ(トーモンの家の使用人)

・サー(ハルタイの実家の女中)