|
■硝煙の中で
◆裸になって川を渡ろうとするカンボジア政府軍兵士 (プノンペン北31キロ、1973年6月30日)
◆カンボジア解放軍との交戦中に自軍の誤爆にたじろぐ政府軍兵士 (1973年6月30日)
◆南ベトナム解放戦線の迫撃砲を受け、道路わきに逃げ込もうとする政府軍兵士。この時、1人死亡、2人が重傷を負った
(サイゴン南西70キロ、1972年8月25日)
◆政府軍と解放軍の討ち合う中間地点で、負傷兵を救う政府軍兵士 (サイゴン北50キロ、1972年10月21日)
◆カンボジア解放軍の迫撃砲攻撃を受け、水田の中を逃げる政府軍兵士
(プノンペン南西30キロの国道4号線付近、1973年8月)
◆解放軍掃討作戦で、バナナの木陰に隠れながら前進する政府軍 (サイゴン北50キロ、1972年10月7日
◆黙々と村を通る兵士たち (サイゴン北50キロ、1972年10月24日)
◆国道4号線の路上に放り出されたままの死体 (サイゴン南西70キロ、1972年10月6日)
◆国道で脱穀作業にはげむベトナムの娘 (サイゴン南西80キロ、1972年8月24日)
■汚れた星条旗の下で
◆M−16ライフルを肩に小休止するアメリカ兵 (ベトナム、1972年)
◆将校クラブでのアメリカ兵の夕食会 (ダナン、1972年)
◆解放軍の攻撃で負傷した兵士を救出するアメリカ兵 (ベトナム、1972年)
◆担架を待ちながら負傷兵を励ますアメリカ兵 (ベトナム、1972年)
◆爆撃で破壊されたベトナムの大地 (1972年)
■指導者群像
◆ウエストモーランド米将軍 (1972年)
◆ハンフリー米副大統領 (ベトナム、1972年)
◆ロン・ノル大統領 (カンボジア、1972年6月)
◆ズオン・バン・ミン将軍 (ベトナム、1972年10月27日)
◆チ・クアン師 (ベトナム、1972年)
◆グエン・バン・チュー大統領 (サイゴン、1972年10月)
■誇り高き人びと
◆ビエン・ホアの軍墓地では、戦死した兵士の埋葬風景が毎日のように見られた
(サイゴン北30キロ・国立墓地、1972年12月15日)
◆カンボジアの兵士は家族連れで戦場へ行く。そして家族にも負傷者がでる (カンボジア、1973年)
◆ベトナムの前線から3日間の休暇で帰ってきたカンボジア政府軍兵士とそれを迎える家族
(プノンペン北西230キロ シアムリアップ、1972年4月17日)
◆サイゴンのバーで、昼間から客を待つホステスたち (サイゴン、撮影日不明)
◆戦闘で家を焼かれた老人に腕を貸す兵士 (サイゴン北30キロ、1972年10月12日)
◆休暇で戻った兵士を、家族は食糧を用意して迎えた(サイゴン南西80キロ、1972年8月24日)
◆国道13号線近くで出会った少年民兵 (サイゴン北30キロ・ビンズオン省、1972年10月10日)
◆政府軍の空爆からのがれるカンボジア難民 (1973年6月29日)
◆久しぶりの休暇で帰って来た兵士が妻子の出迎えをうける (カンボジア、1972年4月17日)
◆政府軍の作戦を見まもる農夫 (ベトナム、1972年8月19日)
◆国道4号線ぞいの村でとつぜん戦闘が始まり逃げまどう人びと (サイゴン南西115キロ、1972年10月5日)
◆作戦に向かう兵士たちを小舟から見送る子供 (サイゴン南西60キロ、1972年8月24日)
■憎悪のはてに
◆解放軍の攻撃を受け道路脇に逃げ込むカンボジア政府軍兵士 (1973年8月)
◆地上の自軍を援護するため空からの爆撃が始まり黒い硝煙がたちのぼった (サイゴン北50キロ、1972年10月24日)
◆右足を負傷した戦友に肩を貸し後方へ戻る政府軍兵士。食糧にするにわとりも忘れない
(カンボジア国道4号線附近,
1973年6月14日)
◆戦闘の最中にスコールが降る。民家の軒先に身を隠して相手の動静をさぐる政府軍兵士
(サイゴン北30キロ、1972年10月18日)
■10月21日の死闘
◆国道13号線を行軍中の政府軍が奇襲をうける (サイゴン北50キロ、ブンカウ附近)
◆相手の掃射をよけながら、反撃の態勢をとる
◆解放軍のひそんでいる建物に接近
◆手榴弾の投げながら前進
◆パリの和平交渉をよそに局地戦は果てしもなく続く (ベトナム、1972年10月15日)
◆前線へ向かうトラックに鈴なりで乗りこむカンボジア政府軍兵士 (プノンペン、1973年6月21日)
◆カンボジア解放軍の猛攻でコンポンチャムの町は孤立した。負傷兵たちは先を競ってプノンペンへ帰る船への離戦許可
証を求めて必死になった (プノンペン北東70キロ、1973年9月9日)
◆国道6号線の作戦に出かけるカンボジア政府軍 (プノンペン北35キロ、1973年7月1日)
◆解放軍のロケット砲が命中し燃えあがるM48タンク (サイゴン北西65キロ、1973年1月21日)
◆解放軍の迫撃砲で九死に一生を得た兵士は、ショックのため瞳孔が開いたまま。敵の攻撃にも身を伏せず、戦友の死顔
だけを見つめる (サイゴン南西70キロ、1972年8月25日)
◆解放軍の攻撃を受け水たまりに身を伏せた兵士は、ほふく前進を続けながら安全な場所を探して進む
(サイゴン北35キロ、国道13号近く、1972年11月5日)
■安息と死と
◆メコン川の上流で子供たちは水牛と戯れているが、1キロ北方では硝煙がのぼっている
(サイゴン北25キロ、ビンズオン、1972年10月11日)
◆前線へ向かう兵士と見送る子供 (サイゴン南西70キロ、カイライ、1972年11月7日)
◆弾薬箱が子供たちのオモチャだ (カンボジア難民キャンプ、1973年6月23日)
◆タバコを吸う兄とわいせつなサインをおくる弟 (サイゴン、 1973年1月5日)
◆解放軍掃討作戦で一軒一軒捜索していく政府軍兵士に子供は無表情だ
(サイゴン北50キロ、国道13号附近、1972年10月7日)
◆前線に出発する日、輸送のトラックがくるまでの時をすごす政府軍兵士
(サイゴン南西70キロ、カイライ、1972年11月7日)
◆戦闘の合間にやってきたひとときの「平和」 (サイゴン北50キロ、ライケ、1973年3月14日)
◆一通の手紙に読み入る夫婦(?) (ベトナム、1972年)
◆テト(ベトナムの旧正月)を前線でむかえる海兵隊員は、料理用のブタを殺し、湯をかけながら料理を始めた
(サイゴン北650キロ、クアンチ、1973年1月30日)
◆戦闘で破壊された民家のあとから笛をみつけた兵士は、その音色を確かめていた
(カンボジア、国道2号線附近、1973年6月21日)
◆額に負傷した友を軍医のところへ連れていく (カンボジア国道4号線、1973年6月16日)
◆爆撃でできた穴に死体(解放軍兵士?)がころがっていた (カンボジア、1972年4月7日)
◆行軍の途中にスコールが始まり、民家の軒下で雨やどり。住民は避難してすでに無人であった
(サイゴン南西70キロ、カイヘ附近、1972年10月6日)
■タクハン川の捕虜釈放 (1973年2月16日)
◆タクハン川の南岸に集められ、「釈放」の時を待つ「ベトコン捕虜」
◆捕虜たちは収容中に支給された服を脱ぎ捨て、「南」政府の用意した舟に乗り込んだ
◆川幅50メートルのタクハン川の北岸には臨時革命政府の二色金星旗がはためき、捕虜たちの帰陣を待ちうけている
◆捕虜たちは舟が岸に着くのももどかしく、うれしくて川に飛び込んだ
◆水の音にまじる拍手と歓声とシュプレヒコール
◆北岸にたどりついた捕虜は解放軍兵士に抱きかかえられ、テントに向かった
◆ハノイ産のお茶とタバコでもてなされたあと、点呼を受け、女性兵士の先導で行軍する兵に拍手が・・・・
■砲声と宴
◆カンボジアでの親友”ロックルー(先生の意味)”の結婚式。新婦は質屋の娘さん (シアムリアップ、1973年11月8日)
◆正装する花婿を近所の人びとが暖かく見守る。彼は胸に赤いバラの花を飾った
◆「田舎教師に徹する」という彼は、新婦と連れ添いながら未来を語りあう (シアムリアップ、1973年11月8日)
◆あこがれのアンコールワットへつづく道
|