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NGO東北タイ活動記
「イサーンの百姓たち」
松尾 康範 著
めこん、2004年1月発行
ISBN4-8396-0168-2
<著者紹介> 松尾 康範 (まつお・やすのり)
1969年生まれ。1990年からJVC(日本国際ボランティアセンター)の活動に関わる。
94年にJVCボランティアとして1年間、東北タイ・ブリラム県の農村に滞在。帰国後2年
間NGO「むらとまちのオルタ計画」に所属し、97年からJVC東京事務所にてタイ事業
担当。2000年からタイ東北部コーンケーン県に駐在し、2002年からJVCタイ現地代表。
2004年1月に帰国。
著作「土と出会い、人と出会う」(地球的課題の実験村編著『生命めぐる大地』七つ森書館)
「地場で作る、地場で食べる」(日本国際ボランティアセンター編『NGOの時代』めこん)、
「人々の智慧を取り戻す 地場で作る 地場で食べる」(駄田井正・西川芳昭編著『グリーン
ツーリズム』創成社)。
<本書著者紹介より、本書発刊当時>
本書は、タイのイサーン(東北地方)で、日本国際ボランティアセンター(JVC)のスタッフとして地域の人たちとともに地場の市場づくりに取り組んできた著者によるもので、「NGO活動東北タイ活動記」と副題がついているが、その内容は所属NGOの活動報告紹介にとどまっていない。2部構成の第1部では、「イサーンの人とくらしの物語」と題し、イサーンの社会と人々の暮らしがどのように変容してきたか、またそうしたなかで「豊かさ」を取り戻そうと取り組んでいるイサーンの人々を取り上げている。「もうひとつのイサーンを求めて」と題した第2部では、「タイ東北部での地場の市場づくり」のNGO活動記に始まり、地域の智慧を回復し豊かさを取り戻そうとするタイと日本の人々の思いやつながりに、話が及んでいる。
東北タイの村でも、豊かな森があった頃、森と共存し、自分たちが暮らしていくための資源を森から恵んでもらっていたが、1970年代に入り、主食となる米の生産形態が変容する。IRRI(国際稲研究所)による新品種米の栽培が奨励され、化学肥料、農薬が使用されるようになった。在来品種がないがしろにされ、生態系に適した品種が農村から消え、化学肥料など外部の資源に依存しなければ農業ができなくなっていく。さらにケナフ、キャッサバ、サトウキビなど商品作物の作付け面積が増加し森林伐採も進む。都市の生活も入り込み便利さの恩恵を受けられるようになるも、一方で借金の問題が深刻化し、元来あった「おすそわけ」の文化が消えつつある。本書では、こうしたイサーンの昔のくらしの豊かさと、その変容の過程が、村人たちの言葉で語られている。
地域の「豊かさ」を取り戻そうとするイサーンの人々とその活動ぶりも紹介されている。イサーンNGOCODのメンバーが中心となる「イサーンの智慧ネットワーク」が、主催して「自立をめざすイサーンの智慧」と題した集会を2001年11月にコーンケーン市で主催している。「(集会の目的は)村人が過去から現在にかけて維持してきたイサーンの智慧の尊さを多くの人々に知らせると同時に、村人たちに地域の智慧が持つ素晴らしさを再確認してもらおうということ。これまでイサーンにも急激な勢いで開発の波が入り込み、その結果村人の持つ智慧の価値が薄れてきた。しかし、上の人たちが取り組む開発は直線的で、失われていくものを省みようとしない。地域の持つ智慧の豊かさをこうした形で表現していかないと。履き違えた便利さを求めて人々は迷い、自然体の自分を忘れている。」とは、この集会を仕掛けた人が語る言葉だ。
これまで地域の智慧や権利が奪われ、地域の金も外に流れていたものが変わりつつあるものとして、1950年に発令された酒税法によりタイでは禁じられてきた村人による酒づくりが挙げられている。百姓が酒をつくる権利の回復を求める酒づくり合法化運動の展開と成果、そして各地の村で始まった酒づくり運動の模様が紹介されている。本書で、あるイサーンの人が、サトウキビ製糖工場と製紙工場を「イサーンにとっての2種類の鬼」と表現しているが、製紙工場については製紙工場からの排水汚染問題以外に、その原料のひとつ、ユーカリの栽培をめぐってはさまざまな問題があり、中でもユーカリ植林に関連して村人たちの立ち退き問題が各地で起こった。更に本書に2003年5月25日に起こったコンケン県ナムポーン川環境保護住民グループ委員長サムナオ氏殺害事件について詳述されているが、事件の背景となる問題状況もさることながら、このような卑劣なことが易々と起こってしまうことが腹立たしく悲しい。
本書第2部で取り組み活動の模様が詳しく報告されている、コーンケーン県ポン郡での「地場の市場づくり」プロジェクトは、NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」が、1999年に調査活動を開始して、2000年にスタートしたもので、地元のNGOネットワークと協力し合いながら実施してきたもの。村人自身が作った作物を自分の地域で消費し、外からの商品の消費を少しでも減らすことによって、小規模であってもお金と資源を地域内で循環させることを目的とした「地場の市場づくり」であるが、活動展開の途中途中でのいろんな意見・議論や問題点なども記されている。最初は、村の自給を高めるきっかけをつくり、村の元気さを取り戻そうとした村内での朝市づくりから、近くの町を巻き込んだ市場づくりにも発展し、経済面・生産面・社会面・環境面でのいろんなプラス評価が村人たちによって確認されている。
著者は、1997年に日本国際ボランティアセンター(JVC)のスタッフとなり、タイでの「地場の市場づくり」プロジェクトの構想を練っていくが、それ以前のイサーンとのかかわりや、いろんなところで出会い関わりあった人たちとのつながりや経験を、著者個人が大事に上手く活かしてきていることに感心させられる。「地場の市場作り」プロジェクト活動の中でも、タイだけでなく日本各地で豊かな地域社会を再生したいとの同じ思いを強く持ち活動に取り組んでいる人たちとのテーマを持った交流が続けられており、こうした人や活動のつながりの中に明日への大きな可能性を感じることができる。著者は次のような文章でエピローグを締めくくっている。
「・・・旅は終わろうとしている。思えばこの旅で多くのことを学んだ。どこへ行っても優れた地域の智慧はあった。どの地域にも豊かな人々はいた。劣った地域などない。この物語の舞台となったイサーンはまさに地域の智慧の宝庫だった。しかし、自己の利益のみを追求した一部の愚かな人たちが、その資源を奪い、地域が貧しくされてしまっている現状がある。このまま突っ立っているだけでは、僕たちもその構造にどっぷり浸ってしまう。残された豊かさを奪い取られる前に、地域と地域が持つ叡智を紡ぎ、分かち合うことで、僕たちの大きな潮流を創りあげていこう。」
尚、タイの社会活動から生まれた「生きるための歌」(プレーン・プア・チーウィット)を歌う代表的な存在のスースー・バンド(リーダーの本名ラビン・プッティチャート)については、本書第4章で詳しく紹介されており、しかもスースーバンドの了解を得てスースーバンドの曲の訳詞が本書随所に挿入されており、これだけでも非常に得がたい内容だ。ちなみに本書で紹介されている曲は、ダムや堰が造られ、村人の生活の糧となる自然資源が失われ、政治家が儲かるというシステムへの憤りを表現した「プラーデック」を始め、「密造酒」、1992年の流血惨事後に作成したアルバム「ドックマーイプルッサパー」(五月の花)の中に収められている「友を待つ」、「タム・バックフーン(パパイヤサラダ)」、「メーヤナーン(船を守る女神)」、「パカラン(珊瑚)」、「カイモッデーン(赤アリの卵)」、「新しく吹く風」、「安らかな地の子守唄」と、少なくない。
目 次
プロローグ 出会いの旅
第1部 イサーンの人とくらしの物語
第1章 舞台は東北タイ
第2章 変容するイサーン
第3章 グローバリゼーションとイサーンの智慧
第4章 スースー・バンドと生きるための歌
第2部 もうひとつのイサーンを求めて
第5章 おすそ分けの経済をつくろう
第6章 むらとまちを結ぶ市場へ
第7章 ふるさとの森をふたたび子どもたちに
エピローグ タイと日本、人々の思いがつながって
あとがき