■カバーや第1章の
一部の掲載写真
[カバー]
▼枯葉作戦で全滅し、根株だけが朽ちて林立するマングローブの森(カマウ岬、1976年)
[表紙]
▼北緯17度線(南北ベトナムの境界)直下のビンリン地区。砲爆撃と枯葉剤で一木一草もなくなった(1974年)
[見返し]
▼アメリカ大使館前庭で焼け残っていた写真の一部(サイゴン、1975・5)
[口絵1]
▼ベトナム帰還兵の日のパレードで。枯葉剤を浴びた兵士の抗議デモ(ワシントン、1982)
[口絵2]
▼砂漠化の進む枯葉剤散布地(カマウ岬、1981)
[プロローグ]
▼バンメトートの東部の散布地クロンパックで
▼マングローブの林に住む家族(カマウ岬、1981)
[第1章]
▼カマウ岬、クアロン川の夜(1982)
【砂漠化した熱帯雨林】
▼一旦枯れたマングローブ林の跡は砂漠化し、自然の再生に1世紀以上はかかる。画面上方に植林したマングローブの苗が育っている(ズンサット、1984)
▼作戦で枯れたマングローブ林とフン少年(カマウ岬、1976)
▼マングローブ林の跡で出会った3人の子供。手前からフンの弟、フン、妹(カマウ岬で、1976)
▼19年ぶりに再会し、カマウ岬の同じ現場に立つグエン・ヴァン・フン。脳性麻痺あるいはパーキンソン病のような全身のマヒ症状が進んで会話も困難になっていた(カマウ岬・西ヴィエンアン村)
▼消滅したジャングルの跡地に水路が掘られ、エビ養殖をやる人が増えた。海水が入り込むこうした土地からはダイオキシンも完全に流出してしまい、今日では全く検出されない(カマウ岬ナムカン、1995)
【障害を背負う子ども達】
▼ルク(4歳)には左腕がない。腕の先端には指の痕跡だけが残っていた。父親グエン・ザイン・ドックがホーチミン・ルートで繰り返し枯葉剤の霧を浴びた(ハノイ、1981)
▼無眼球症の女の子トゥアン(推定5歳)(ホーチミン市第6障害児センター、1981)
▼全盲のヒエン(8歳)を抱いた母親のブン・ティ・ラム(43歳)。枯葉剤を浴びた父親の復員後に生まれた2人の子はともに先天盲だった(ハノイ、1981)
▼山岳民族パコの母子。枯葉剤を浴びた母親は流産の後、べエを生んだ。口唇裂だった(アールォイで、1982)
▼1981年、生後10ヶ月のハァを抱くレ・ティ・タイ(25歳)。ハァの腕には欠損があり、肌にも塩素痤瘡状の発疹があった。母親のタイが枯葉剤を浴びたのは12歳のとき(タイニン省ロクフン村)
▼レ・ティ・タイの子ハァは1981年の撮影の2ヶ月には死んでしまっていた。村の一隅にお墓があった(タイニン省ロクフン村、1995)
▼下肢マヒの少年ブイ・ヴァン・タオ(左)は耳が聞こえるのに話せなかった。母親のウトがタオをおなかに宿している時に爆撃や枯葉作戦があったといいう(タイニン省サマト、1981)
▼1995年タオ少年はいまや26歳になっていた。弟も、その後に生まれた2人の子も元気だったが、母ウトの甲状腺が異常に肥大していた(タイニン省サマト)
▼枯葉作戦が行われたタイニン省の森に捨てられていたというグエン・ヴァン・ダン(兄、10歳)と妹グエン・ティ・タイン・タム。もう一人の姉ガーとともに足が深く湾曲していた(第6障害児センター、1982)
▼1995年になってセンターを再訪してみると、23歳になった兄のダンは元気だったが、妹のタイン・タムは何年か前に階段から落ちて死んでしまっていた。
▼小人症の少年ハイ(タイニン省タンビン、1981)
▼ハイはもう26歳の青年になった。(タイニン省タンビン、1995)
▼グエン・ティ・ホン(8歳)は少女なのだが、頭の皮膚炎のため頭髪を刈っていた。両手とも重症の合指症。母親はカンボジアで被曝していた(タイニン省サマト、1981)
▼1995年に再開したとき、ホンは22歳の明るい娘に成長していた。両手の合指症はそのままだった。外科手術で治せるが「お金がないからできない」と言った。市場でカシューナッツを売る日当が彼女の収入だった(サマト、1995)
▼口唇裂の子どもたちを抱くホゥン・ティ・フオン。ボイロイの森が攻撃されたとき壕へ逃げたが何度も枯葉剤を浴びている(タイニン省ロクフン村=現ドントゥアン村、1981)
▼1995年のホゥン・ティ・フオンと子ども達。口唇裂の手術は済んでいた。村には口唇・口蓋裂の子どもが多いが、1年にひとりだけは国の負担で無料の手術を受けられるという(ドントゥアン村)
▼最も激しく散布されたマングローブのジャングル、ズンサットの森跡地に住む家族。少女は先天疾患・アペルト症候群だった(ホーチミン市東方ズンサット、1984)
▼ソンベで会った少女。発育遅滞があり、12歳だというのに4,5歳の幼女のように見えた。良心とも枯葉剤を浴びている(ツダウモト、1984)
▼ホーチミン市の第6孤児障害児センターで(1984)