メコン圏の旅紀行・エッセイ 第5回

  関連データ

 

 

●イラワジ河

 

 ミャンマーを南北に貫通する交通運輸の一大河川で、全長2000キロ 北方チベットとの分水嶺に源を発し、南のマルタバン湾に注ぐ。

 東に横たわるシャン山脈と、西に走るアラカン山脈との間に、肥沃な沖積平野を展開し、流域面積は43万平方キロに及ぶ。            

 

●中上健次

 

 1946年8月2日和歌山県生まれ。新宮高校卒。

 1976年「岬」で芥川賞受賞。他に「枯木灘」など。  1992年8月、死去

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  『イラワジの赤い花』        

             ミャンマーの旅

  

           中上 紀

           集英社    1999年4月発行

            

  著者紹介》 中上 紀 (なかがみ・のり)

            昭和46年(1971年)1月29日東京生まれ。作家・故中上健次の長女

            ハワイ州立ハワイ大学美術学部・美術史科卒業

                                       (同書紹介文より)

 

 本書は、日本人女性によるミャンマーの旅紀行であるが、普通の一人旅ではなく、著者が留学していたハワイ大学のある教授主催のミャンマー・タイ・シンガポールと東南アジアを回る研究旅行プログラムに参加した折の旅紀行である。中国人教授の下に、多人種から成る総勢20名のグループの旅で、教授や同行仲間の行動や会話も随所に登場してくる。

 

 著者は96年、97年と同じようなプログラムに2年続けて参加しているが、最初の旅について、「今までの私の人生の中で最大級のイベントだったといってもいい。東南アジアの文化とそこに生きている人々と私とは、臍の緒についた見えない糸で繋がっているような気がした。何かがふっきれ、何かが新しく始まった。そう今では思っている。」と記している。著者が、アジアの国々に興味をもつようになったそもそものきっかけは、父・中上健次であったと、亡き父との思い出が紹介されている。小学校を卒業した時、「卒業旅行」と称した2人きりのフィリピン旅行をし、

同じくらいの年の子たちがヤシの実を売ったりして、「おまえ達にとって、小学校や中学に行くのは当たり前かもしれんが、一歩、日本から出れば、そんなことは少しも当たり前でない世界がいっぱいある。覚えておけ」と父は語っている。また日本もまたアジアの島国に過ぎないのに、アメリカナイズされていてそのことを余り意識していない。むしろアメリカにいるほうが、アジアが、そしてアジアの中の日本が見えるとも父は言い、著者を高校からアメリカに留学させている。

 

 本書にはさまれてある愛読者カードの設問の一つに「お買い求めの動機は?」とあるのだが、私の場合「ミャンマーに関心がありタイトルに引かれて」本を手にしたわけだが、正直なところ「中上健次の長女が書いた本である」ことで購入を決めた。家族ならではの中上健次の話を知り、著者の感性や表現の仕方に、父親との近似性を見出すことは、中上健次ファンであれば、望外の楽しみとなろう。

 

 もちろん、ミャンマーの旅紀行として、いろんな関連情報や旅での感想などが綴られ、楽しむことができる。2週間にわたり、ミャンマーの各地を以下のように訪れており、名所だけでなく、「この旅をミャンマーを見にきたのではなくて、ミャンマーに、そしてミャンマーの人々に会いにきたのだ」と著者が語るように、ミャンマー各地で知り合いになったミャンマーの人々の姿、心遣い、生活なども十分紹介されている。

 

  ヤンゴン

   ・ヤンゴン国際空港、シュウェダゴン・パゴダ、チャウタッチー寺院、ボージョー市場、

   シャン州

   ヘーホー空港、タウンジーシャン州民族博物館、煙草製造所、フーピン市場

    インレー湖、カウンタイ・マーケットファウンドーウー・パゴダ、ジャンピング・キャット僧院、

    ビンダヤ、カロー、

  パガン

   ニャアウンウー空港、シュウェズィゴン・パゴダ、チャンスイッター寺院、サラバー門、

    アナンダ寺院、マヌーハ寺院、ダマヤンジー寺院、ポパ山、シュウェザンドウ・パゴダ

    操り人形劇、牛を使ったピーナツ油作り、ココヤシ酒・ココヤシ飴作り

   マンダレーとその周辺

    アマラプラ・・マハガンダヨン僧院、タアウングータマン湖、ウー・ベイン橋

    サガイン・・・・カウンムードー・パゴダ、サガインの丘、慰霊塔

    ミングン・・・・ミングン・パゴダ

    マンダレー・・旧王宮、金箔作り工場

    メンミョー・・・ピンウールイン市場

   カチン州

    ミッチーナ・・ミッチーナ空港、民族博物館、ミッチーナ駅、レドロード(レド公路)

            ミッソン(ミッチーナから約45kmにあるメクハ川マリカ川が合流して

            イラワジ河に変わる地点)

    

 「赤い川が流れていた。」と言う文章でプロローグが始まり、ミャンマーの雨を「すべてを洗い流してくれるがごとく音をたてる。空気は湿気を含み、身体中から汗がにじみ、着ているものに張りつく。それなのに、あまり熱いという気はしない。放出される水分と体内に取り入れられる水分。高い湿度を含んだ空気と、顔や身体に当たる雨が、私を全く違う別の新しいものへつくり変えてくれるのかもしれない。」と著者は表すが、ミャンマーの各種風景や情景に、著者が住んできた日本やアメリカに無い新鮮なものをみつけたり、おだやかな気持ちになったりと、ミャンマーに惹かれていく様子も描かれている。インレー湖近くの村では、どこの家からかおいしそうないい匂いが漂ってきて、子どもの頃、熊野川河口に面した父の田舎で祖母の家のほうから煮物を作る匂いがしてきた当時の自分と家族、そして回りにあるものだけがすべての楽しく心地よかった世界・時代を思い出し、急に泣きたいような衝動にかられてもいる。

 

 また寺院やパゴダ、彫刻や壁画などのアジア美術の美しさ、人々の一途な信仰、活気のある市場などに加え、ナッ神にも関心があるようで、その記述も少なくない。尚、気になる本書の題名だが、ミッチーナのイラワジ川畔で見つけたミャンマーの「赤い花」が、著者の心にどう映ったかは本書の最終章をご覧頂きたい。