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       第37話  漢字と泰・越語(4)


「米」という字は甲骨文字にはやくも見えますが、これは粟作経済の殷の国では、粟の実を示す文字でした。だいたい中国大陸は寒冷な黄土地帯が広がる北と、温暖で樹木が繁る南では気候風土がまったく違っており、「米」という字が今日のように稲のみ実を示す意味に変わったのは、おそらくこの字が楚や呉、越などの稲作経済の盛んだった大国に伝わってより、後のことではなかったでしょうか。そしてたぶん「米」という字が楚や呉、越などの国に定着してより後、これらの地方に「米」ヘンの漢字が多数発生したのではないかと考えています。

タイ語ではウルチ米・モチ米・モミ米・精米を問わず「カーウ」「カウ」の言葉がついてまわり、この言葉はさらに広がってトウモロコシや小麦などにも使われます。端的に言えば稲も「カーウ」「カウ」、籾も「カーウ」「カウ」、米も「カーウ」「カウ」、飯も「カーウ」「カウ」、なのです。ベトナム語では籾は「ルア」、米は「ガオ」、飯は「コム」と変わります。この籾と米と飯の区別は、もちろん漢字にもあって、籾は「米」ヘンに「造」のツクリで構成される文字(広東音でツォウ)、米は「米」ヘンに「卑」のツクリで構成される文字(広東音でバイ)、飯は飯の字である。かつて広東省東部の潮州地方に一週間ほど旅行したことがありましたが、ホテルの部屋で寝ているとメイドがドアの外で「ツーザオファン(喫早飯)」と呼んで起こされたものでした。

タイ語で圧倒的な「カーウ」「カウ」の言葉、およびベトナム語で精米を示す「ガオ」の言葉は、ウルチ米の意味を持つ「米」ヘンに「更」のツクリで構成される文字(漢音でコウ、旧仮名遣いでカウ)につながるものではないかと考えられます。南の地方の古代の三国のうち最も歴史の古い楚の国に、当初、粟の実としての意味を持ったまま「米」という字が入った際に、稲作民のタイ・ベトナム系の人々が使っていた「カーウ」「カウ」「ガオ」などの言葉を原語に、「更」(カウ)の字で音を写して「米」ヘンに「更」のツクリの文字原語が考案されたのではないでしょうか。しかし楚の国の住民の多くは苗族で、苗語では籾のことをンプレー、飯のことをモーと言います。米のことを何と言うのか手持ちの辞書には何故か米に当る言葉が載っていません。辞書を頼りに目当ての言葉を捜す場合、こういうことはよくあることなのですが、苗語で米を何と言うのか確認されるまで、この件は保留にしておきましょう。

となると、これも苗族の国と言われる呉を破って紀元前5世紀のはじめに江南から山東南部に及ぶ大国となった越の国で考案された漢字かもしれません。となると「米」ヘンに「更」のツクリで構成される文字(カウ)はベトナム語のガオ(米)につながってきます。ただし「米」ヘンに「更」のツクリで構成される文字はベトナム音ではカインという発音で、ベトナム語のガオ(米)からかけはなれてしまいます。これも早急に結論を急ぐべきではないでしょう。苗語やベトナム音などに問題点があるとはいえ、「カーウ」「カウ」「ガオ」などの圧倒的な影響力をもつ言葉は、やはり「米」ヘンに「更」のツクリで構成される文字とのつながりを否定できないだろうと考えます。問題は、いつどこで、どうやってつながるかということですね。

 さてモチ米を示す字は、「米」ヘンに「需」のツクリで構成される文字で、ベトナム音では「ニュ」、潮州音では「ノー」と発音され、タイ語の「ニアウ」につながるのではないかと思います。ちなみにモチ米は標準タイ語でカーウ・ニアウ、セーク語でガオ・ニアウ、ベトナム語でガオ・ネップです。余談ながら、ベトナム語のネップ(粘る)は、日本語のネバ、ネバネバにもつながるのではないかと考えられます。南の稲作経済圏には稲作文化の諸先輩であるモン・クメール語族、苗族、タイ族らが、漢字文化が南下するはるか以前から稲作を行なっていたのであり、その間に発生した籾・米・飯をあらわす分類用語をはじめ、さまざまな稲作技術の用語が原語として存在していたことは疑いのないところでしょう。