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       第52話  黒いマレビト(2)


ベトナムの文化は古代の楚の国の文化をたぶんに継承しており、またベトナムの始祖王の雄王は紀元前五九八年に春秋の覇者となった楚の荘王ではないかという説もあります。倭国に定住した海人族は海を越えてきた半農半漁の人たちで稲をもたらしたことで知られています。ともあれ古代においてベトナム人の祖先(駱越部族)と海人族の祖先が、楚という世界帝国の文化に浴していたことは十分に考えられます。さらに言えば駱越部族も海人族も、おなじ「越族」としてひとくくりにできるかもしれません。

ここでこういう仮説を立ててみましょう。「越族」に共通の建国神話のパターンとして、前回にのべた始原の神の三世の孫は山の神の娘と異族婚をし、その子は龍の娘と異類婚をし、そのまた一人息子(絶対的な世継ぎ)を経て、六世の孫が国の始祖王となる、という侵すべからざる型式があったと仮定すれば、倭国の建国神話もベトナムの建国神話もきちんと「越族」に共通の鋳型から生まれたものと言うことができましょう。天武天皇は「越族」に共通の鋳型を八世紀の日本に持ち出して、その鋳型に合わない伝承をすべて偽書・偽史として覆滅してしまった、ということになります。これはひとつの文化大革命で、『古事記』や『日本書紀』に記されなかった多くの神々は、それ以後、光を失っていったように思います。

とはいえ『風土記』にはまだまだ地方の大きな神々が生きていますが、やがてそれらの神々は民話の中に沈潜していったようです。神々について言えば、『古事記』や『日本書紀』の神話体系はあくまでもある特定の観念によって取捨選択された後の、花壇の中に整理されて植えられた花のようなもので、『古事記』や『日本書紀』以前の倭国にはその何十倍もの神々が多種多彩な様相で豪華絢爛に咲き乱れていたという神々の世界が想像されます。日本神話はよくギリシャ神話に比較されたりしますが、それはあくまでも『古事記』や『日本書紀』によって花壇の花に整理されてしまった後の神話のことで、倭国本来の神々の世界はその何十倍も豊穣でありかつクレージーであったのではないかと仙人は愚考するのです(実に南方ボケもきわまったと言うべきでしょうか)。

国の正史からは追放されてしまいましたが、日本各地の民話になお伝承されて生き残っている神々にアジアの民話から光を当てれば、かなりの程度、『古事記』や『日本書紀』以前の倭国の神々の豊穣な世界が見えてくるのではないか、と仙人はヒマにまかせて愚考を続けていたところ、國次(くにつぐ)さんという人から、熱海に伝承されるかなり変わった民話を教えてもらいました。國次(くにつぐ)さんは、海に潜るダイバーをやっている人で、熱海沖の海底に港湾都市が沈んでいるのを見つけ、30年前からコツコツ調査研究している人です。今年になってから新聞やテレビがこの研究を報道していますのでご存知の方も多いのでは。現在、「熱海の海底遺跡保存会」を中心に大学の先生方などの専門家が入って海底遺跡の調査は飛躍的に進んでいます。國次(くにつぐ)さんと仙人は何を隠そう、メル友じゃけんね。

 昔、この仙人たよりに、『日本書紀』には応神天皇が伊豆の国に命じて大型の船(長さ三〇メートル近い)を造らせ献上させたという記事があるが、それがもし事実としたら伊豆の国に造船所の遺構が残っているのではないか、というのは同じような大型の船の造船所の遺構(南越王国のものと思われる)が中国の広東で発掘されたことがあるからである、と書いたところ、それらしきものが海底にありますよ、とメールをくれたのがほかならぬ國次(くにつぐ)さんだったというわけです。長さ三〇メートル近い大型の船は、外洋船であるに違いなく、古代のアジアでこんな大きな外洋船を走らせていたのは中国人から崑崙船と呼ばれた外洋船の主であった南インドのタミル人のほかにはいません。三国志の呉は魏を北から挟み撃ちにするために朝鮮半島にあった楽浪公国に一万の兵を輸送していますが、呉はタミル系の支配階級が治める扶南王国と国交があったことから、呉の輸送船にはタミル人の崑崙船が使われたのではないかと、僕は疑っているのです。