本文へジャンプ
 

       第57話  黒いマレビト(7)


さていよいよ黒く光った顔の翁、タミル人とおぼしき船の中で最も尊貴な人物の名前の分析にとりかかりましょう。説話には「白波之弥奈阿和之命」と記されています。まことに和風もいいところ、「シラナミのミナアワのみとこ」と読めます。「シラナミのミナアワ」とは、文字どおりに読んで「白い波の水の泡」と読みたいところですね。しかしクレイジーな仙人はそうは読まないのです。もっとずっとクレイジーに読んでみたいのです。

この説話に記述された翁をめぐる要点から、仙人はこの翁はタミル人であるとクレイジーにも信じてしまいました。ですから「シラナミのミナアワ」という言葉にはタミル語が潜んでいるに違いありません。まず「シラナミ」とは何でしょうか。タミル語に「シラム」という言葉があり、「最高の」という意味があります。また「ナンミ」という言葉があり、「神」という意味があります。この二つの言葉を組み合わせればシラナミに近い「SIRAMNAMMI」という言葉ができあがり、意味は「最高神」となります。インドラ神でもヴィシュヌ神でも、ともあれヒンドゥーの最高神はなにかと人間に優しい神なのですね。次に「ミナアワ」とは何でしょうか。タミル語に「ミン」という言葉があり、「照明」という意味があります。また「ナーヴァーイ」という言葉があり、「船」という意味があります。この二つの言葉を組み合わせればミナアワに近い「MINNAAVAAI」という言葉ができあがり、意味は「光を照らす船」となります。

『古事記』を読みこんでいる読者の中にはピンとくる人も少なくないと思いますが、オオクニヌシが相棒のスクナヒコナに去られて、これからどの神とともに国を造ればよいのか、と嘆いたときに、「この時に海を照らして依り来る神あり」とミモロの山の神が登場するくだりがあります。このミモロの山の神は後世になると大蛇の姿になったりしますが、神武天皇の正妃となる娘の祖として神話に伝えられます。熱海の国の説話でも、七つの島を征服することになるナギヒコの正妃としての立場になぞらえられているナミヒメの保護者として「シランナンミ」の「ミンナーヴァーイ」のみこと(神)が位置づけられています。このあたり説話ないしは神話には一定のパターンがあるような想いにかられますね。

またタミル語のナーヴァーイはヒンディー語ではナーヴで、ともにサンスクリットのナーヴァーに由来する言葉です。タイ語ではこの言葉はナーワーと訛ります。説話では「弥奈阿和」と記されており、それは「弥奈阿和伊」ではなく、タミル語のナーヴァーイの「イ」の音が落ちています。もしかすると翁はサンスクリットで「ナーヴァー」と名乗ったのかもしれません。となればそれを聞く海人族はタイ・ベトナム系の人たちですから、彼らの耳はタイ人のようにその言葉を「ナーワー」と聞いたのかもしれません。そうすると「白波之弥奈阿和之命」は「シランナンミのミンナーワーのみこと」と読めることになります。ここに至って「白波之弥奈阿和之命」は「白波の水泡のみこと」でいいじゃないか、コジツケめいたことをがたがた言うな、という声が起こってきそうです。あるいはあまりの強引な読み方に仙人の人格を疑う人も多いかと思います。もうこのコラムを読むのはやめよう、と固く決意する人も出るかもしれませんね。

しかし、と、仙人は負け惜しみを言うのです。利根川の「利根」って何でしょうか。タミル語に「トーニ」という言葉があり、「河」という意味があるのです。タミル人の船長が内陸にアクセスする河を発見して「トーニ(河だ)」と叫び、それを聞いた海人族が未開の地の大河をやや訛って「トネ」と呼んだのではないでしょうか。また関東地方に歌われる八木節はア~~~と出だしをア音で長く引っ張りますが、これはインドの歌に普通に見られる特徴です。それに最後の「オーイサネー」という文句については、タミル語に「疲れた」という意味の「オーイ」という言葉があり、同じく「疲れた」という意味の「サー」という言葉があり、そして「つぶされる」という意味の「ナイ」があるのです。「オーイサネー」は「オーイ・サー・ナイ」で「疲れた疲れたつぶされるゥゥ~」と読めるのですがいかがでしょう。