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       第59話  ジャバダイ【稲の州】(1)


岡田英弘は、ヤマト(山外)という言葉は仁徳天皇の時代にカワチ(河内)と対になる言葉として生まれた、と言っています。この人は、中国の史書と日本の史書の記述が合わないときは、文句なく中国の史書の記述を真実とし、日本の史書の記述を虚偽とする立場をとる歴史常識を持つ人ですから、彼の言葉には信を置いてよいと思います。

そこで仙人は、邪馬台をヤマタイと読むことはもうやめよう、と提案します。「邪はヤマトのヤ、馬はヤマトのマ~」(ドレミの歌のメロディーで歌う)と、時代的にはまだその当時生まれてなかった「ヤマト」という言葉に引っ張られて邪馬台という漢字を読むのは、虚偽ないしは空事に近い読み方なのですからね。では何と読むのか。ごくあたりまえに邪はお邪魔のジャ、馬は馬術のバ、台は天文台のダイと素直に無理なく読むわけですね。

さてさてクレイジーな仙人が邪馬台をジャバダイと読むことを提案する理由は、ほかならぬ中国の記録にジャバダイという言葉が見えるからです。四一三年、インドからの帰途、南海より山東省に漂着した法顕は、旅行記を書きましたが、そのなかに耶婆提というヒンドゥーの国に五か月滞在したと記しています。耶婆提とはジャワのことで、当時の東晋王朝の都の呉音で読めば、耶婆提はジャバダイと読めるのです。文句なく中国の史書の記述を真実とする立場に立てば、邪馬台は卑字を使って表記されたジャバダイで、耶婆提は漢訳仏典に頻出する漢字を使って表記されたジャバダイで、両者はまったく同一の意味内容を持つものと考えてよいでしょう。このことからも邪馬台はヤマタイと読まれるべきではなく、ジャバダイと読むべきことは明らかですね。

すると、なんやね、あんさん。邪馬台国とはジャワのことになるやんか、そんなアホな。という声が聞こえてきそうですが、ジャバダイの語源はサンスクリットのヤヴァ・ドゥィーパ(YAVA DVEEPA)で、「稲の洲」という意味です。サンスクリットの言葉の語尾の母音は早くインドで消滅し、たとえばヒマラヤ(HIMALAYA)がヒマライ(HIMALAY)、ナガラ(NAGARA)がナガル(NAGAR)になったように、ドゥィーパ(DVEEPA)もドゥィープ(DVEEP)になりました。ドゥィープ(DVEEP)の語尾のPは母音を欠いた結果、耳には聞こえなくなり、インドの言葉を知らない人には、「ドゥィー」としか聞こえません。同じ系統の言葉でタイ語のタウィープやクメール語のトゥェープが、タウィー、トゥェーとしか耳に聞こえないのと同じ原理です。

さて、一方のヤヴァ(YAVA)の流れを汲む言葉はヒンディー語のチャーワル(CHAAWAL)となり、また現在、インドネシアのジャワ島もヤヴァとは呼ばれずジャワと呼ばれているように、「Y」の子音が「CH」や「J」に変わっていますが、「Y」の子音の変化はかなり早い時期に発生したもののようです。お釈迦様在世中から紀元前三世紀の前期にアショカ王に滅ぼされるまで、ベンガル湾に面したインド東部にオリッサ人のカリンガ王国が栄えていました。オリッサ人は海外に積極的に進出した民族で、ヤンゴンの前身であるダゴンの街を造ったり、また遠くジャワに移民を送り込んだのも彼らです。オリッサ人と前後してジャワに進出していたタミル人は、ジャワ島をサーヴァガム(稲の土地・稲の家)と呼びます。またビルマ語ではヤヴァが訛ってザバという言葉になっています。サーヴァやザバという言葉から、オリッサ人はすでにサンスクリットのヤヴァを「サヴァ」と言っていたらしいことがわかりますね。

百科事典には、二世紀のプトレマイオスの地図に「ヤバディウ」としてジャワの地名が見えると書いてあります。文語のヤヴァ・ドゥィーがローマ風に訛ったものでしょう。しかしジャワの現地では、文語のヤヴァ・ドゥィーはオリッサ人の口語のサヴァ・ドゥィーとして、オリッサ人やタミル人などインドからの移住者やインド商人の間にジャワ島の呼称として用いられたものと思われます。ヤヴァの「Y」の子音は、現地のジャワ島ではそもそも当初からオリッサ人の口語の「S」としてスタートしたようです。文語に忠実に耶婆提をヤバダイと読む向きもありますが、これは以上の現地事情からも、また法顕が旅行記を書いた東晋の都の呉音からも、ジャバダイが正しい読み方であると思います。