随想集『バンコク白想の日々』(江口久雄 著)

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 本書の目次


第1部 蕉風椰雨

 

  ●雨降る夜に 

  ●環境映画祭

  ●糯飯噛みて 

  ●月餅御三家

  ●争わぬ子供 

  ●早朝のバンコク

  ●水火無情・人人有情 

  ●建設ラッシュ考 

  ●農民と卵焼き

  ●「何でもないわ」 

  ●雨季明けの星

  ●カティナ衣寄進 

  ●グーキンハーン

  ●イナゴの唐揚げ

  ●日本人のイメージ

  ●海外日本人 

  ●涼季は深く

  ●街の唐人劇 

  ●印度の曲・中国の歌

  ●太陽と小鳥たち 

  ●音感とマントラ

  ●タイの杏花村 

  ●村の奉納芝居

  ●野草パックブン 

  ●クワームペンタイ

  ●若い料理店主 

  ●村から来た人たち

  ●ブリラム県の子供 

  ●ミャンマーのメイド 

  ●「昼間たいへん」

  ●下町の市場 

  ●市場の珍品ふたつ

  ●バンコクの華字紙 

  ●ビール戦争

  ●冷蔵庫にジャスミンを 

  ●名刺の思い出

 

 第2部 魚米之郷

 

  ●中国の企業観念 

  ●トウモロコシ譚

  ●タイの漫画 

  ●プラプラデン史譚

  ●虫とタイ人 

  ●職業のスーパー

  ●跛行的なミャンマー

  ●会う人みんな

  ●盲人楽団の食欲 

  ●山吹色の蛍火

  ●果物の芳香 

  ●アンコール路風物詩

  ●バスのボディー絵 

  ●雨安居入り

  ●路地裏のバス 

  ●ペナンの街角(夜)

  ●ペナンの街角(昼)

  ●メイド層の読む新聞 

  ●口すさびの小果 

  ●製紙プラント見学記

  ●張(テウ)と豊(プン) 

  ●村の子守り唄

  ●カエルとタイ人 

  ●7カ国語の説明

  ●シャンプーと髪型 

  ●シアワセのニチです 

  ●普寧の街角

  ●中国の地方紙 

  ●ミャンマーと日本

  ●酒通の女 

  ●政治家と果実

  ●内弁慶・タイ弁慶 

  ●胆石入院記

  ●海岸での静養 

  ●尻に火をつける者

  ●東高西低

 

 第3部 媚南千里

  

  ●民主化闘士 

  ●ローカーピワット

  ●タイの夢占い 

  ●日本風の山へ

  ●ミャンマー投資 

  ●子供たちの日々

  ●タイの蟻たち 

  ●東京を歌う

  ●街の踊り場で 

  ●アジアの人権は

  ●インド系の人たち 

  ●シャボンと胡椒

  ●ソンクラーン祭 

  ●泰字紙を読む会

  ●隠れ里の村(1) 

  ●隠れ里の村(2)

  ●点心と点身 

  ●熱い中国・冷えるタイ

  ●CPの熱風 

  ●コラムの反響

  ●チェック・デン 

  ●ミャンマー加盟

  ●6月の田舎 

  ●澁澤龍彦の視線

  ●サンデー・マーケット 

  ●起業家の明暗 

  ●高層ビルの盲点

  ●ドーイ・ステープ 

  ●ランナー文字

  ●タイの宮沢賢治 

  ●中国格言集

  ●新しい本 

  ●タイの神木

  ●アジアの酢メシ 

  ●輝ける闇

  ●シンガポールの横顔

  


  
  江口久雄 著

         「バンコク 白想の日々」

 

   1997年11月発行, 全230ページ

   108編の随想集

 

 

 

 

 

     (掲載されている随想の一部)

  「グーキンハーン」

 

  日本の子供たちの遊びに「子取り鬼」というのがある。「鬼ごっこ」に見られるように日本では他の子を追いかけつかまえる役割は「鬼」と呼ばれる。「子取り鬼」も例外ではなく、ムカデのように一列につながって動きまわる子供たちの後ろに、一匹の鬼がまわりこんでつかまえるのだが、ムカデの頭が手をひろげて立ちふさがるというものだ。

  これがタイにもあった。タイでは『尾を食べる蛇』(グーキンハーン)と呼ばれる。鬼に当たる子は「蛇の父さん」、ムカデの頭に当たる子は「蛇の母さん」、後につながる子供たちは「蛇の子」と呼ばれている。この遊びは歌をともなう。日本では最初に鬼が「子取ろ子取ろ、どの子を取ろか」と歌って遊びが始まる。タイでは蛇の父さんが「蛇の母さんやい、どの池の水飲むんない」と歌う。それを受けて蛇の母さんが「砂の池の水飲むんよ、行ったり来たり」と返す。

  蛇の父さんと母さんの掛け合いは三度繰り返され、「砂の池」が「悲しみの池」にそして「石の池」に変わる。水に恵まれないイサーン地方の池を象徴しているようだ。サラブリ県の子、ペチャブーン県の子、シーサケート県の子、ウボンラーチャタニ県の子らに聞いてみたが、池の順番に出入りがあるだけで、歌の文句は同じだった。

  ミャンマーにも同じ遊びがあった。『金の鷲』(シュエスンニョウ)と呼ばれ、鬼に当たる子が「鷲」と呼ばれる。鷲が「金の鷲、あの子が欲しくて飛んだ」と歌って遊びが始まる。

  その昔、ビルマのウ・ヌ政府が北京へ使節団を送ったとき、宴会で披露したビルマの中にこれがあった。毛沢東はそれを見て鷲をアメリカに見立て(鷲はアメリカの国章)、ムカデの頭を中国に、後に続く子供たちをベトナム、ラオス、ビルマに見立てて、いたくご機嫌になり、何度も何度も『金の鷲』のアンコールを求めたという話を、故ウ・ヌ元首相の息子さんから聞かせていただいた。


        本書掲載の序文

    バーン・ラック幼稚園園長

                  佐藤 正喜

 

 タイに住んで一昔になる。

 タイを理解するとはどういうことなのか、15年住んでもわからない。

 現在のバブルがはじける前の繁栄の時代も経験したし、それ以前の実におおらかな時代の空気も味わえた僥倖に、偶然とはいえ時代に感謝したいくらいである。

 

 タイに関する本も15年前はごく僅かであった。今日のような出版状況になるとは誰が予測しえたであろうか。曰くタイに何年も住んでいたとか、タイ人の友人が何人もいるとか言って憚らない。それはそれでいい、玉石混交である。これらの鉱脈の中から玉を選び出したときの喜びは何と形容したらいいかわからない。

 

 玉を選ぶ、すなわち自分のタイに対する思い入れ、タイ理解のスタンスが近い人の本を見つけ出したとき、なんとかして著者に会いたい衝動を感じることがある。

 

 バンコク週報のコラムが新しくなったことは、前のコラムニストが最後の挨拶を書いていたので知っていた。トーンが異なり、楽しみに読んでいた。とにかく守備範囲が広い。街の市場もあれば農村の話もあり、食事もタイ料理に始まって中華料理・イサーン料理に及ぶ。我々の今まで知らなかった側面を紹介してくれると同時に、鋭い文明批評も忘れない。なにしろタイ人に注ぐ眼差しが優しく、観察が厳しい。のんべんだらりと暮らしていたら見逃してしまう事象についても実によく観察されている。極上の玉であった。

 

 しかし、私自身、他人の本の序文を書くような玉ではなく本当は石なのだが、、、。

 

 著者の江口さんと知り合い、同世代であり来タイ時期もほぼ重なり合うことを後になって知った。同じ頃に生まれ同じ時代の空気を吸った人間として、jなんとかして応援したい衝動から、柄でもない序文を引き受けてしまった。

 

 タイをこよなく愛し理解しようとする人、ともかく多くの人に読んでほしい本である。

 

                         1997年10月

               あとがき


 朝夕は秋の風情、日中は真夏、そして時たまにわか雨、夜は夜もすがら虫の声。10月初めのタイの気候である。雨季明けは近い。


 『バンコク週報』の随想の欄に、1995年8月から1997年9月まで乗せていただいた108編をまとめ、『バンコク白想の日々』と題してみた。『白想』とは、開高健の本で知った言葉で、「ぼんやりぼけっとしていること」だそうである。

 この言葉は『白果(バイコー)』を連想させる。銀杏の実のことだ。日本人は、銀杏を煎って酒の肴にするが、中国人は水菓子(デザート)の実にしている。果物のようなまたそうでないようなカオの『白果』は、なにやら白想している小果のようにも見え、なんとなくオレに似ているなあと親近感を覚えてしまう。

 これらの一編一編を一粒一粒の銀杏の実のように味わっていただけたら望外の喜びである。

                          江口 久雄