
プノンペン補給 メコンを上る
突然、密林から命中弾
すかざず空爆
船団、命からがらの80キロ行
【プノンペン13日UPI】
孤立したカンボジアの首都プノンペンに残された支援ルートは、わずかにメコン川を通ずる水上
輸送だけとなっているが、UPIの一ノ瀬泰造カメラマンは先週末、そのメコン川輸送船団のタン
カーに同乗、プノンペンまで航行した。航行中、解放勢力から2度にわたってロケット砲の命中弾
を受け、たびたび機関銃による攻撃も浴び、弾薬を積んだはしけ一隻が破壊されたという。以下
は一ノ瀬カメラマンの同乗記である。
輸送船団はサイゴンに近いニャべの大石油貯蔵所で荷を積み終えた。6隻のタンカー、貨物船
1隻、タグボートで引かれた弾薬輸送用はしけ3隻が船団の総勢だった。船の船籍国はパナマ、
韓国、南ベトナムで、大部分の船員が韓国人、フィリピン人、中国人だった。
船団は7日、ニャベを出港、サイゴン川を南シナ海に下り、海岸沿いにメコン川河口に達し、つ
いでメコン川を上り始めたが、航行するのは日中だけ。夜は停泊していた。ベトナム領内での
航行は4日間続き、事件らしいものは一度もなかった。
カンボジアには11日午前に入った。あとプノンペンまで距離でいえばわずかに80キロ。
メコン川航行の最初の1時間半は、何ごともなく過ぎ、両岸の緑の密林は静寂に沈んでいた。
木の葉は米軍のB52機による爆撃のため、みにくく焼けただれていた。唯一の騒音は、私が
乗った老朽船のエンジンのガタゴトいう音と、カンボジア海軍の装甲しょう戒艇が時おり響かせ
るうなり声だけだった。
正午近く、突然、タンカーから180メートルほどの東岸の密林からロケット砲と機関銃が火を噴い
た。その数分後には、米軍のF4ファントム・ジェット機2機が共産側陣地と思われるあたりを急降
下爆撃し、20ミリ機関砲とナパーム弾をたたき込み、真っ赤な炎と、大波のような黒煙の中で爆
発が起った。
共産側は空爆にもめげず、しばらく砲火を浴びせ続けた。私は操舵室の屋根の下で砂袋の陰に
身をひそめ、シャッターを切った。一発のロケット砲が船尾の上部甲板に命中した。装甲板に3セ
ンチほどのくぼみをつけただけだが、むき出しになっていた数本の送水管を破裂させた。前後か
ら機関銃で攻撃されもした。
銃砲撃はほぼ10分後に静まった。しかし、その30分後、5キロほど上ったところで、タンカーに
続いていた弾薬用はしけの一隻に猛烈なロケット砲撃が集中、キャビンで昼食中だったわれわれ
は大急ぎで食事を切り上げた。
私が甲板に飛び出ると、はしけから50メートルほどの高さに炎が上がるのがみえた。引船がはし
けを切り離したので、はしけは炎のかたまりとなって下流にただよい始めた。ファントム機がはしけ
にとどめをさし、はしけは弾薬ごと水中に消えた。これは共産側の手に落ちるのを防ぐためだった。
午後2時15分、国境とプノンペンのほぼ中間にあるネアクルンに近づいたとき、またロケット砲が
上部甲板に命中した。これも装甲板をくぼませただけだったが、甲板にくくりつけてあったボートは
こなごなになった。ファントム機が密林上空での”仕事”を終えるのを待っていたため、ネアクルン
通過に2時間かかった。
ネアクルンに北方13キロの地点では機関銃の砲火を受けたが、ファントム機が直ちにこれを沈黙
させた。その後はプノンペンに着くまで、攻撃を受けなかった。しかし、両岸の密林と水田には、米
軍が絶え間なく爆撃を加え、地響きを立てていた。
船団は午後9時半ごろ、やっとプノンペン港に入った。眠そうな港湾労働者が、我々の投げたロー
プをつかまえた。疲れ果てた乗組員はウイスキーのビンを開け、甲板の上でいくつかのグループ
に分かれた。みんな小声でしゃべり、陽気にはしゃぐものは一人もいなかった。