朝日新聞  昭和45年(1970年)4月13日  月曜日 (15)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    ”私は辻政信氏の通訳だった”

        ラオスの中国人が証言 

            パテト・ラオ 9年前、尋問に立会う

 

 

  ビエンチャン=伴野特派員12日発

 

      「辻政信はパテト・ラオにつかまり、ジャール平原のカンカイにいた」

      − 1961年4月、辻政信参議院議員(当時58)が、ラオスで消息を断ってから9年。そ

      の真相は依然ナゾにつつまれたままだが、カンカイで捕虜生活を送る辻議員の通訳を

      勤め、「脱出」に協力しようとした中国人がビエンチャンにいた。楊光宇さん(35)。当時、

      コンレ中立派軍の従軍カメラマンでカンカイの中立派軍司令部にいた。いまは、ビエン

      チャンで写真店としょうゆ製造所を経営している。「古いことで、記憶違いもあると思いま

      すが・・・。辻さんと初めて会ったのは、61年6月のはじめごろだった、と思います」 −

      楊さんは9年前の記憶の糸をたどるのだった。

 

 

  4月21日、カーキ色の法衣にベトナムガサといういで立ちで、ビエンチャンから北に向った辻議

  員は、13号公路のバンビエンでパテト・ラオにつかまった。しばらくバンビエンに収容されたあと、

  カンカイに連行された。

 

  当時、カンカイにはプーマ中立派政府があり、これに協力するコンレ中立派軍とパテト・ラオ軍の

  各司令部があった。

 

  パテト・ラオ第二軍区司令部で辻議員の尋問がはじまったが、言葉が通じない。「中国語なら少し

  わかる」という辻議員の申出で、中立派軍から楊青年が通訳にかり出された。尋問はシンガポ第

  二軍区司令官によってきびしく進められた。

 

  一番問題になったのは、なぜ日本の国会議員ともあろうものが僧職に変装して潜入してきたのか、

  という点だった。楊青年と筆談をまじえながら、辻議員はこう答えた。

 

  大統領に会うのだ、どうして会うのかはホー・チ・ミン大統領にしかいえないことだ。変装したのは、

  正規の手続きを踏むと、私の”秘密”が漏れるからだ。軍人だったころ、ホー大統領に力を貸した

  ことがある。辻だといえば、きっと会ってくれる。ぜひ私のハノイ入りに協力してほしい。

 

  同司令官は尋問中、こんな質問をはさんだ。「われわれパテト・ラオと中立派軍が組めば、右派軍

  に勝てるだろうか」 「彼我の兵力、武器、弾薬の量を教えてくれれば、必勝の作戦を、私が立案

  してあげよう」辻議員はしばらく考えたあといった。だが、その後シンガポ司令官はこの話をしなく

  なった。尋問の様子はベトナム語で記録されていた。

 

  尋問中の5日間、楊青年は監視役として辻議員と生活を共にした。親子ほども年が離れていたが、

  二人はすぐ仲よしになった。当時の辻議員は自信に満ちているようだった。あまり疲れた様子もな

  く、落胆しているようにも見えなかった。常にきびきび動いていた。

 

  ある日、辻議員が小声でささやいた。「オレをビエンチャンまで逃がしてくれ。礼はする。君の一生

  を保証する。事業をやるなら金も出す。日本に来たいなら、めんどうを見よう。ウソはいわん。約束

  する。これでも日本武士だ」

 

  楊青年は考えた。時期さえ選べば、「脱走」は不可能ではなかった。監禁といっても、シンガポ司令

  官の自宅の一室である。中立派軍の軍用車を使えば、ビエンチャンまで何とか行けそうだった。だ

  が、戦局は右派軍に有利で、いますぐというわけにはいきそうにない。なによりも辻議員の「約束」

  が魅力だった。一週間考えた末、「今すぐは無理です。時期を待って下さい」とささやいた。「頼むよ

  」と辻議員はいい、楊青年の手をしっかりと握った。

 

  コンレ将軍は辻議員に同情的で、シンガポ司令官に「辻を中立派軍の作戦顧問にしたいから、釈

  放してくれ」と申入れたこともあったが、パテト・ラオと中立派軍の対立が徐々に表面化してきた時

  期でもあり、この要求は入れられなかった。

 

  辻議員とのこうした付合いは約20日ほど続いた。6月末、楊青年はプーマ殿下から「写真技術研

  修のため北京へ6ヶ月留学せよ」の命令を受けた。

 

  「辻さん、私は命令で北京へ行きます」これまでシンガポ司令官の尋問にも動じたことのなかった

  辻議員の顔色が一瞬変った。「私が帰るまで6ヶ月待って下さい。きっと逃がしてあげます」辻議員

  はうなずいただけだった。

 

  ハノイに2ヶ月、北京で6ヶ月、楊青年がカンカイに帰ってきたのは、62年3月になっていた。

 

  カンカイには、辻議員の姿はなかった。シンガポ司令官に聞いた。「辻は逃げたのだ」。仲のよい

  パテト・ラオの兵士にも聞いた。楊青年が北京に向ってから1ヶ月ほどたってから、見えなくなった、

  ということだった。

 

  「結局、65年まで私は中立派軍にいました。辻さんの行方はついにわかりませんでした。これは

  私の意見ですが、変装したということが、スパイ容疑を決定的にしたようです。ひそかに処刑され

  たのだ、と思います」。話し終った楊さんの顔はほんのりと赤みがさしていた。