人物: − 日本人

      荒木 宗太郎  (?〜1636年)

 

     関連テーマの参考情報

 

 最初の朱印状を授けられた豪商たち

  

 異国渡海の朱印状は、文禄元年(1592)に、豊臣秀吉が長崎、京都、堺の8人の豪商に授けたのが最初であるが、その8人の豪商のうちの一人が長崎在住の荒木宗太郎(?〜1636年)。ちなみに最初に朱印状を授けられた8人の豪商とは、長崎の荒木宗太郎、末次平蔵、船本弥平次、糸屋隋右衛門、京都の茶屋四郎次郎、角倉与一、伏見屋、堺の伊勢屋。

 ■「長崎くんち」と「アニオーさんの行列」

  

 毎年10月7〜9日に開催される、長崎市民の氏神、鎮西大社諏訪神社の祭礼行事。本石灰町(もとしっくいまち)の長崎くんちの奉納踊りの催し物に御朱印船とアニオーさんの行列という名物がある。荒木宗太郎の妻・王加久は、長崎では本名ではなくアニオーさんと呼ばれて親しまれていた。

 尚、本石灰町は、荒木宗太郎が朱印船貿易でマカオから運んできた漆喰の原料を荷おろしする場所だったことからこの町の名前がついたといわれる。

 

       ⇒関連サイト「長崎くんち」

              (長崎伝統芸能振興会)

   ■荒木宗太郎宅跡

       飽の浦公園。

   荒木宗太郎は長崎の飽之浦(あくのうら)に居宅を構えて

   いた。

 ■荒木宗太郎墓地

        正覚山中道院 大音寺(浄土宗)

             鍛冶屋町5−87

 ■荒木船

     長崎駅構内に展示されている御朱印船が荒木船を

     模した物(三菱重工長崎造船所製)

   

 ■「荒木宗太郎異国渡海船之図」

     長崎市立博物館蔵

 

 

     メコンプラザ内での関連テーマ紹介

 

 ■特定テーマ:

 

   「戦国豪商とメコン圏」  

   ◆荒木 宗太郎 (あらき・そうたろう)

     ? 〜 1636年(寛永13年)

     長崎の貿易家。名は一清、のちに惣右衛門

     肥後熊本の武士だったが、長崎開港とともに長崎

     に移り、武士をやめて商人になった。1592年

     (文禄元年)、豊臣秀吉の朱印状を得て以来、

     シャム・安南地方に数度貿易船を出した。

     宗太郎みずからも乗船、安南国王の一族、阮氏

     に深く信頼され、1619年(元和5年)には、阮氏

     の娘、王加久戸売(オウカクトメ)を妻とし、帰国した。

     1622年(元和8年)には将軍徳川秀忠より新たに

     朱印状を受け、交趾方面に通商した。

     荒木船の船標は、円のなかにO・V・Cを組み合わ

     せたものであった。それはオランダ東インド会社の

     船標を上下逆さにしたデザインであった。

 

     荒木宗太郎は寛永13年(1636年)11月7日、

     長崎の屋敷で亡くなる。

 ■メコン圏と日本との繋がりを辿る:

 

   「荒木宗太郎と安南国王女」  

   長崎の豪商で度々朱印船をシャム、交趾などに派遣し、

   自ら船長となり乗船した荒木宗太郎は、中部ヴェトナム

   に拠った広南国[クアンナム]国王の阮福源の娘を1619

   年、正妻に迎え長崎に連れ帰る。

 ■書籍紹介

  単行本「異国の旗」所収

  ・「朱印船の花嫁」

      白石一郎 著、中央公論社

       1991年1月発行

 

 安南国王・阮福源の娘を正妻とし長崎に連れ帰った長崎の豪商・荒木宗太郎をモデルとした短編歴史小説

 

 

    荒木宗太郎 関連書籍紹介

 

 

 ■書籍紹介

 

  「海のサムライたち」

      白石一郎 著、NHK出版、

      1978年1月発行

 

 古代の海賊王・藤原純友、村上水軍の村上武吉、松浦党と蒙古襲来・倭寇、織田水軍の総大将・九鬼嘉隆、小西行長、三浦按針、山田長政、鄭成功、徳川水軍と鎖国制度など、全11章にわたり、海を生業の場としてきた海洋民としての代表的日本人,海外へ果敢に進出していった海のサムライ達の生態と実像を紹介。このうち第9章が、「荒木宗太郎〜王女を嫁にした朱印船主」と題して、荒木宗太郎を取り上げている。

 ■書籍紹介

 

  「風雲児」(上)

      白石一郎 著、文春文庫、

      1998年1月発行

 

 本作品は、山田長政の波瀾の生涯を描いた歴史小説であるが、本作品に荒木宗太郎が登場してくる。

 本書では、山田仁左衛門(長政)が、荒木宗太郎の御朱印船荒木丸で長崎を出港、まず高山国(台湾)に渡る設定になっている。