人物: − 日本人

      納屋(呂宋) 助左衛門  生没年不詳

 

     関連テーマの参考情報

 

 大安寺

    (大阪府堺市

     南旅籠町東4−1−4)

  阪堺電軌阪堺線御陵前駅下車8分

 

 

 1394年(応永元年)、足利義満・義持の命により徳秀士陰

 和尚によって開かれたが、元和の兵火後現在地に移転再興

 された。そのとき呂宋(納屋)助左衛門の旧宅を本堂(障壁

 画<襖絵>とともに国重文)にしたと伝えられる。

 

 呂宋(納屋)助左衛門は堺の豪商で、ルソン貿易を行い、巨

 利を得て生活も豪勢を極めたので、豊臣秀吉の怒りをかい

 罰せられたが、その際邸宅や財産一切を一族追福のために

 寄進したという。

 

 寺宝として、呂宋(納屋)助左衛門がルソンから持ち帰った

 と伝えられる茶壺・香炉などがあり、本堂の庭の隅には千

 利休好みの虹の手水鉢、南庭には千利休が掘ったと伝える

 時雨の井戸がある。

 

 本堂は入母屋造の本瓦葺で西面し、桃山から江戸初期頃

 の豪商の屋敷の姿をよく残している。仏間および上段の間・

 奥の間を除き、各室の襖には金砂子あるいは金箔押しの

 下地に鶴・サルスベリ・梅・桧・松・藤など、極彩色で狩野派

 の絵が描かれている。特に藤の絵は優れているとの評価を

 うけ、俗に「大安寺の藤」として知られている。上段の間は

 他の部屋とは異なり墨一色の襖絵であり、中国の西湖が

 描かれ、非常に落ち着いた感じを与えている。寺伝によれ

 ば、これらの襖絵はすべて狩野永徳の作としているが、真

 偽のほどは明らかでない。

                  <『大阪の歴史散歩』より>

 

       ⇒堺観光百科 ー 大安寺

         <(社)堺観光コンベンション協会運営サイト>

  

 

 ■NHK大河ドラマ「黄金の日々」  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              <書籍『黄金の日日』の帯>

 

   堺の豪商・呂宋助左衛門という謎の人物を主人公にした

   ドラマ (1978年1月〜12月放映)

      原作:城山三郎 「黄金の日々」

      脚本:市川森一

      キャスト:

        呂宋助左衛門 (市川染五郎、現 松本幸四郎)

        石川五右衛門 (根津甚八)

        杉谷善住坊 (川谷拓三)

        木下藤吉郎[豊臣秀吉] (緒方拳)

        美緒 (栗原小巻)

        今井兼久 (林隆三)

        織田信長 (高橋幸治)

        徳川家康 (児玉清)

        小西行長 (小野寺昭)

        高山右近 (鹿賀丈史)

        石田三成 (近藤正臣)

        小西隆佐 (宇野重吉)

        細川ガラシャ (島田陽子)

        ねね (十朱幸代)

        今井宗久 (丹波哲郎)

        千利休 (鶴田浩二)

 

   ■『太閤記』での呂宋助左衛門に関する記述

     <『太閤記』は儒学者・小瀬甫庵が1625年に完成> 

 

      『太閤記』 巻第十六 「呂尊より渡る壺之事」

 

  泉州堺津菜屋助右衛門と云し町人、小琉球呂尊へ、去年の

  夏相渡り、(文禄甲午)七月二十日帰朝せしが、其此堺之

  代官は、石田杢助にてありし故、奏者として、唐の傘、蝋燭

  千挺、生たる麝香二疋上奉り、御礼申上、則真壺五拾、御

  目に懸けしかば、事外御機嫌にて、西之丸の広間に並べ

  つつ、千宗易などにも御相談有て、上中下段段に代を付さ

  せられ、札をおし、所望の面々誰々によらず執候へと仰せ

  出だされしなり。之に依て望の人々、西丸に祗候いたし、代

  付にまかせ、五六日之内に悉く取候て、三つ残りしを取て帰

  り侍らんと、代官の杢助に菜屋申ければ、吉公其旨聞召、

  其代をつかはし取て置候へと仰されしかば、金子請取奉り

  ぬ。助右衛門五六日之内に、徳人と成にけり」

 

     *『太閤記』では、助左衛門ではなく助右衛門

 

 

     メコンプラザ内での関連テーマ紹介

 

 ■特定テーマ:

 

   「戦国豪商とメコン圏」  

   ◆納屋(呂宋) 助左衛門 (なや・すけざえもん)

     生没年不詳、堺出身の貿易家

    堺の海岸に倉庫を建てて海運業を営んだ者を納屋衆

    といい、納屋を屋号にした者は数軒あった。助左衛門

    の家は中浜の納屋といわれ、ほかに菜屋、魚屋とも

    書いたようだ。スペイン治下のルソン島に渡り、1594

    年(文禄3年)に帰朝。このとき舶載したのは唐傘・蝋

    燭・麝香、そして50個の真壺であった(『太閤記』)が、

    これらを豊臣秀吉に献上した。この真壺とは当時隆盛

    の茶の湯で最も珍重された「ルソンの壺」であり、国内

    での売り捌きには豊臣秀吉が関り、納屋助左衛門に

    は巨額の利をもたらした。のち、豪勢な暮らしが豊臣

    秀吉に忌諱され、日本を離れ、カンボジアに亡命した、

    カンボジアの王家の庇護のもと、対日貿易の監督役

    をつとめたと伝えられる。

 ■メコン圏と日本との繋がりを辿る:

 

   「呂宋助左衛門とカンボジア」  

 ■書籍紹介予定

  ・「図説 呂宋助左衛門」

      徳間書店 編、徳間書店

       1978年1月発行

 

 戦国乱世の混乱期もようやく鎮まりかけた頃、波濤に挑み異国に夢を賭けた男がいた −謎の海商   四囲を海に閉ざされた日本人の夢として彼の名前は語り継がれてきた

 

 

    呂宋助左衛門 関連書籍紹介

 

 

 ■書籍紹介

 

  《呂宋助左衛門を描いた歴史小説》 

  「黄金の日日」

      城山三郎 著、新潮社、

      1978年1月発行

 

海に向って開き、残り三方に堀をめぐらせた堺の町は大陸貿易港として発展し、豪商呂宋助左衛門、日比屋了慶、鉄砲製造の橘屋又三郎、茶道の今井宗久、千利休等、不羈奔放な人材を輩出していたが、その巨大な財源と商権は時の権力者信長、秀吉、家康に狙われ続けた・・。商業自由都市堺を舞台に展開する複雑な権謀術数、男たちの夢と気概と雄飛の物語。

 

 ★本書では、豊臣秀吉の怒りをかい、捕らえられる直前に

   めぼしい財産の処分を決めて、1595年(文禄4年)に

   呂宋(ルソン)に脱出。1614年(慶長19年)、マニラに

   追放された高山右近と、すでに60を過ぎた助左衛門

   がマニラで再開する場面が描かれ、高山右近に「・・

   あなたは柬埔寨国(カンボジアにもお屋敷があるそう

   で。あるいは、そちらに滞在かと・・・」と語らせている。

   つづいて、”助左衛門は、6隻の船を動かして、南海の

   島々の交易を営み、マニラだけでなく、カンボジアのピ

   ニャールーにも店を持った。そこでは、一時、港務長兼

   税関長(シャパンダール)をつとめ、日本人宰領もやらさ

   れた”と書かれている。

 

 ★助左衛門の出自については、本書では、父親を堺の今

   井宗久の持船の船頭であったが、危険な航海で死に

   母の田舎の実家に帰るが、義父と母親も、7歳の時に

   畠山と三好の小競り合いで村ごと火をかけて焼かれ、

   亡くなり、孤児となって堺の今井家で小僧となる設定。

    

 ■書籍紹介

 

  《呂宋助左衛門を描いた歴史小説》 

  「海の稲妻」 上・下

    根来・種子島衆がゆく

      神坂次郎 著、講談社文庫

      2001年6月発行

 

 初出:日本経済新聞(朝刊)

      1996年10月〜97年11月連載

 単行本:

   1998年2月、日本経済新聞社より

   単行本として刊行

 

 根来鉄砲衆族長の子・十郎太は島の若者達と種子島党を結成して堺に渡る。織田信長の下で石山本願寺・雑賀党と戦う父の陣へ赴き、戦国傭兵隊として活躍する。手練の鉄砲技術を駆使し、毛利水軍を撃破、豊臣秀吉の鳥取城攻めにも貢献する。修羅の戦場を疾駆しながら己の信念を貫く若者達の熱き青年群像を描く歴史長編(上巻)

 

 豊臣秀吉の根来寺焼き打ちから落ち延びた十郎太は助左衛門と名を改め、千利休ら茶人衆や堺商人の庇護のもと、海商に転じ呂宋島(ルソン)へ船出する。行手を阻む海賊を蹴散らし、南蛮貿易で商才を発揮する。その反骨の心意気は、小便壺を名品茶壺として豊臣秀吉をも翻弄するほどになった。呂宋助左衛門の波瀾万丈の半生がここに!(下巻)

 

 ■書籍紹介

  《呂宋助左衛門を描いた

        歴史ドキュメント》 

 

  「呂宋助左衛門」 

    「黄金の日日」を生きた怪商

      高野 澄 著、徳間書店

       1977年10月発行

 

 城取りと殺戮に明け暮れる戦国の世、堺に一人の男がいた。彼はなによりも自由を愛し、権力を憎み、ついに、その姿を遠く南海の彼方に消した。「納屋助左衛門」人呼んで「呂宋助左衛門』奔放不羈、疾風怒濤の生涯を史的に再現!