ヴェトナム戦争: 

       枯葉作戦関連年表 

                  引用文献:『戦場の枯葉剤』(中村梧郎著、岩波書店、1995年7月)

 

1921年8月3日 ・米陸軍航空部、オハイオ州で殺虫剤空散成功
1927年 ・化学兵器禁止に関するジュネーブ協定
1936年 ・イタリア、エチオピアで致死性薬剤空中散布

1944年 ・米軍、フロリダ・ベイポートで枯葉剤散布実験
1945年8月10日 ・対日枯葉作戦計画書完成、米陸軍で受理
1949年 ・米モントン化学でダイオキシン被曝事故
1950年初(〜54年) ・英、マラヤ共産軍の作物に枯葉剤使用
1950年2月〜4月 ・米軍、フロリダで穀物への空中散布実験

1959年6月 ・米空軍、キャンプ・ドラムで枯葉作戦のテスト
1961年4月12日 ・ロストウ補佐官、(枯葉作戦の)現地調査勧告
1961年8月10日 ・コンツムで秘密作戦、枯葉剤の実験散布開始
1961年11月28日 ・C−123散布機6機が米ポープ基地を出立
1961年11月30日 ・ケネディ大統領、枯葉作戦遂行を承認
1962年1月10日 ・C−123で散布演習。南ヴェトナム政府、枯葉作戦公式発表。
1962年1月13日 ・米空軍による「ランチハンド」作戦”正式に”開始(国道15号周辺)。パープル(紫)剤散布。
1963年6月6日 ・カマウ岬に対する枯葉作戦開始
1965年1月22日〜2月18日 ・ボイロイの森への枯葉作戦、出撃101回
1965年3月24日 ・ダウケミカル本社でダイオキシンの毒性に関する秘密会議、化学企業4社が参加
1965年4月30日 ・デルタで枯葉作戦、Op.スワンプ・フォクス開始
1965年12月6日(〜69年9月) ・ラオスでの枯葉作戦開始
1966年1月 ・エドソール博士ら大統領に枯葉作戦中止要請
1966年(月日不祥) ・ホルムズバーク刑務所の囚人に対してダイオキシン投与、ダウケミカルの人体実験
1966年12月 ・米科学振興協会、生物化学技術使用に警告声明。
1967年2月5日 ・南北の境界17度線の非武装地帯で枯葉作戦
1967年2月14日 ・米科学者5000人、化学兵器使用の禁止を訴え

1967年4月27日

・ウェストモーランド、非武装地帯北の”浸透ルート”への枯葉作戦要求

 6月12日、国務省が許可

1969年3月17日 ・プァイファ教授らベトナムで枯葉剤影響調査

1969年6月26日

・サイゴンのティンサン紙「枯葉作戦で出産異常激増」の記事連載開始。

 チュー政権、発禁処分に

1969年7月24日

・三井東圧化学大牟田工業所で製造した枯葉剤原料のオーストラリアへの輸出、

 報道で発覚

1969年8月 ・ズムウォルトの息子エルモ大尉ベトナム従軍
1969年9月6日 ・エイブラムズ将軍、枯葉作戦の出撃数は月平均で最低400回が必要とペンタゴンに回答
1969年秋 ・米国立衛生研のコートニーら、ねずみを使った実験での245−Tの催奇形性を報告
1969年12月27日 ・米科学振興協会(AAAS)理事会、ベトナムでの枯葉剤使用即時中止を決議
1970年7月1日 ・ズムウォルト提督、ニクソン政権の幕僚長に。
1970年8月 ・メセルソン教授らベトナムへ現地調査に入る。
1970年10月 ・全米科学アカデミー、「ベトナムにおける枯葉剤の影響に関する委員会」設立。
1971年1月7日 ・C-123機での枯葉作戦を終了。ヘリ散布は継続。
1971年10月31日 ・米空軍ヘリによる枯葉作戦、終了

1973年 ・ドンナイ川の魚から高濃度ダイオキシン検出
1974年12月16日 ・米上院、化学兵器禁止ジュネーブ議定書批准。
1975年4月8日 ・フォード大統領、「将来も枯葉剤不使用」と宣言。
1976年7月10日 ・伊、セベソの工場爆発でダイオキシン汚染。
1977年7月15日 ・米軍、枯葉剤をバルカナス号で洋上焼却、9月迄。
1978年3月22日 ・帰還兵の枯葉剤被曝症をシカゴのTVが初報道。
1978年8月 ・米ラブカナルでダイオキシン汚染。住民退去令。
1980年10月 ・ベトナム、枯葉剤調査10/80委員会設立。
1981年2月25日 ベトとドク、癒合体児で誕生。
1981年12月 ・米帰還兵団体VVA代表ベトナム初訪問、枯葉剤の被害をうけた住民と対話。
1983年1月13日 ・「戦争における枯葉剤の人と自然に及ぼす長期的影響」第1回シンポジウム(ホーチミン市)
1983年1月 ・米タイムズビーチで枯葉剤汚染、強制移住。
1984年5月7日 ・ベトナム帰還兵の枯葉剤代表訴訟和解。化学企業側が1.8億ドルを支払う(N.Y.連邦地裁)
1986年6月11日 ベト急性脳症で重篤、日赤医師団ベトナムへ。
1986年6月19日 べトとドク、日航機で東京の日赤へ緊急移送。
1986年10月29日 ベトとドク、治療終え帰国、ベトに後遺症。
1988年8月13日 ・エルモ・ズムウォルトV、枯葉剤起因の癌で死亡。
1988年10月4日 ベトとドクの分離手術成功。
1990年6月26日 ・ズムウォルト、米兵枯葉剤被害公聴会証言。
1991年9月26日 韓国国家有功戦友会、枯葉剤抗議、高速道遮断
1992年5月26日 韓国国防部、枯葉剤で発病の兵の登録開始
1992年6月1日 韓国「ベトナム参戦枯葉剤被害者戦友会」発足。
1992年8月 ドク、兵庫県立リハビリセンターで義肢装着。
1993年1月16日 韓国、帰還兵の枯葉剤被害を初認定、12名。
1993年4月25日 ソウルで枯葉剤被害兵士の街頭デモ。
1993年5月10日 韓国、「枯葉剤後遺症治療関連法」施行。

1993年7月28日

・全米科学アカデミー(NAS)、枯葉剤由来の疾病を確認。

 米政府、傷痍軍人扱いでの救済を決定。

1993年11月8日 大韓海外参戦戦友会、米化学企業提訴を発表。
1993年11月15日 ・ハノイで「枯葉剤の長期的影響」国際シンポ。
1994年6月 韓国枯葉剤被害者戦友会、米化学企業を提訴。
1994年7月 ドク、三重大学で人工肛門と肛門活躍筋検査。
1994年9月9日 ・ズムウォルト提督ベトナム再訪、大統領と会う。
1994年9月13日 ・米環境保護局(EPA)「ダイオキシン再評価」公表。
1994年9月24日 韓国の枯葉剤被害兵士、米大使館に向けてデモ。
1994年10月7日 ・オーストラリア、枯葉剤兵士の発癌認め補償へ。
1994年11月21日 ・’94ダイオキシン国際会議、25日まで京都。
1994年11月23日 ・”人間とダイオキシン”国際シンポジウム。
1995年5月 ・日本、サリン事件で化学兵器禁止新ジュネーブ条約を承認。