文化 − タイ

     大映映画 「山田長政 王者の剣」

 

  関連事項

 

◆制作

 大映(京都撮影所)

 

製作

 永田雅一

 バヌー・ユガラ

 

公開   

 1959年(昭和34年)

 5月1日

 カラー・シネマスコープ

 上映時間1時間54分

 

スタッフ

 

 ・原作

  村松梢風

 ・脚本

  小国英雄

 ・監督   

  加戸 敏

 ・撮影

  牧田行正

 ・美術

  上里義三

 ・照明

  伊藤貞一

 ・録音

  大角正夫

 ・音楽

  鈴木清一

 ・助監督

  土井 茂

 ・スチール

  小牧 照

 

キャスト

 *ポスターの表記順

 

 ・長谷川一夫

   <山田長政>

 ・中田康子

   <ソンタム王の姪

   であるナリニー姫>

 ・根上 淳

   <大西五郎兵衛>

 _________

 

 ・市川雷蔵

   <オーク・ヤー・

    カムへーン>

 ・金田一敦子

   <パッタマー姫>

 ・浦路洋子

   <王宮の侍女>

 ・若尾文子

  <津田あや(津田

   又左衛門の娘)>

 _________

 

 ・田崎 潤

   <有村左京>

 ・舟木洋一

   <シー・シン親王>

 ・永田 靖

   <オーク・ヤー・

    カラホーム>

 ・伊沢一郎

    <喜太郎>

 ・倉田マユミ

    <おそで>

 ・浦辺粂子

  <日本人町の老婆>

 ・荒木 忍

  <松本新左衛門>

 ・香川良介

 ・清水将夫

  <津田又左衛門>

 ・千田是也

  <ソンタム王>

 

●1997年10月、大映ビデオから同作品のビデオが発売された。

 

 


 

  17世紀前半シャム(タイ国)に渡った風雲児・山田長政の波瀾万丈の大活躍を描いたスペクタル史劇で、山田長政を演じたのは、長谷川一夫(1908〜1984年)。この作品は、大映(社長は永田雅一氏)がタイ国アスピン・ピクチャー(社長はバヌー・ユガラ氏)と提携した、初の日・タイ合作映画で、1959年5月1日公開された加戸敏・監督の映画作品。この映画ポスターには、「大映スコープ 総天然色」、「日・タイ合作映画」の文字に加え、「南国の舞姫に永遠の愛を誓い異国の武将に不滅の友情を叫んで決然起った日本の怪男児山田長政!」と書かれている。

 

  寛永2年(1625年)12月、山田長政は朱印船「海神丸」でシャム(現在のタイ)に到着、日本人町に落ち着いた。日本人町の頭領オンプラ・津田又左衛門も王宮に招かれた国王ソンタム王の誕生日の日に、青年士官カムへーンによってビルマ軍の侵攻が王宮に伝えられ、白象将軍の異名を持つカラホーム軍務大臣が率いる討伐軍は出撃し、シャム軍は大敗。この国難にソンタム王は日本人町に協力を依頼。日本人義勇軍の司令に推された長政は、カムへーン率いる精鋭部隊と共に出撃し敵を殲滅させた。凱旋した長政は親衛隊司令官に任ぜられる。

 

 その頃、徳川幕府は鎖国を決定、最後の朱印船がシャムにも到着した。帰る者の中には長政を慕う、頭領津田又左衛門の娘あやの姿もあった。シャムに居残った長政は彼を慕うナリニー姫と結婚。やがてソンタム国王が亡くなった。長政を良く思わない大臣たちは、彼を六昆の反乱軍討伐に向かわせると、カムへーンに長政暗殺を命令。カムへーンは六昆に赴き長政に、王からのポルトガルのワインだと称して毒杯をすすめる。毒と承知であおった長政は、続いて飲もうとしたカムへーンの酒杯を叩き落とし、毒を仰いだナリニー姫とともに息を引き取る。

 

  この映画は、村松梢風の原作(小説「新潮」所蔵)を小国英雄が脚色したもので、史実や通説(一部には山田長政の非実在説もあるが)との違いも、当然随所に見受けられる。映画では山田長政が有村左京と関ヶ原の合戦(1600年)で槍を交わしたことになっているが、出生年の有力説は1590年。渡航年については1610年〜1617年頃と諸説あるものの1625年は遅すぎる。長政が毒殺される1630年(1633年とする説もある)に長政の子が18歳で父の跡を継ぐが映画ではまだ赤ん坊。第1次鎖国令の発令は長政の没後の1633年。ソンタム王の病死の後、王位を継いだ長子チェッタも長政の死の前の1629年、シーウォラウォンに殺害されているなど。何より、沼津藩主の駕籠かきをしていて密航してシャムに渡ったとみられる山田長政が、映画では袴を受け大小を腰にした立派な出で立ちの侍姿で朱印船に乗船している。

 

 とはいっても、いろいろと設定や情況は異なるものの、ソンタム王とその長子チェッタ王子、オークヤー・シーウォラウォン、オークヤー・カラホム、シー・シン親王、マンコンなどと、山田長政に関わったアユタヤ朝の歴史上の人物が登場したり、ピヤ・ナイワイの処刑にからんで、「ソンタム王に日本人は一旦反旗を企てた」ペチャブリー事件についても、この映画上で言及している。

 

  初の日・タイ合作映画と謳われ、タイでの現地ロケが敢行され、一般紙でもこの映画の現地ロケのために長谷川一夫ら一行がタイに出発することが記事として取り上げられた。しかしながら、日・タイ合作映画とはいいながら、タイ人の役に関してもすべて日本人が配され、言語は全て日本語で撮られている。日本人頭領・津田又左衛門の家の前に、漢字表記に加え”またざーもん・つだ”とタイ語表記の表札は用意されていた。映画の中で王宮で披露されるタイ舞踊は、榊原舞踊団(コロンビア)による。鎖国令で最後の朱印船で帰国するかどうかアユタヤの日本人町の人たちが”だるま屋”で思い悩む場面で、酌女が弾く「五木の子守唄」は、もの悲しい。

 

  主役の長谷川一夫以外のキャストは、長谷川一夫の相手役となるナリニー姫には、1933年生まれの東宝で映画デビューしていた中田康子(なかた・やすこ)で大映に初主演の抜擢で翌1960年大映に転社している。長谷川一夫が主宰する新演伎座の研究所を経て1951年に大映第5期ニューフェイスとして映画界入りした1933年生まれの若尾文子は、本作品では山田長政に思いを寄せる、津田又左衛門の娘あやに扮した。また、ソンタム王の子のチェッター王子という子役は、太田博之が演じている。「眠狂四郎」シリーズをはじめとする数多くの時代劇で知られる37歳の若さで亡くなった不世出の映画スター・市川雷蔵(1931〜1969年)も、青年士官カムへーンというタイ人を演じている。尚、市川雷蔵についての著作もある1982年の直木賞(『時代屋の女房』)作家・村松友視 氏は、この映画の原作者・村松梢風の孫(戸籍上は末子)にあたる。

          

            

   *主な引用参考文献

      『市川雷蔵 出演映画作品ポスター集』(編者・粟田宗良、ワイズ出版、1999年)

      『完本 市川雷蔵』(山根貞男・著、ワイズ出版、1999年)