現代史編ーミャンマー

               クン・サーのミャンマー政府への「投降」

 

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 ■クン・サーのモン・

  タイ軍司令官辞任

   1995年11月

 

 1995年11月、クン・サー将軍(当時61歳)は、モン・タイ軍(MTA)本拠地ホモンで、「シャン族の分離独立」を標榜する私兵組織モン・タイ軍司令官を辞任し、静かな「引退」生活に入ると宣言した。

 

 クン・サー将軍の麻薬ビジネスに反発したシャン族兵士の大量離脱が辞任の原因となった。

 

 1980年代、2つのシャン民族主義組織を吸収。しかしシャン族兵士が8割を占める総兵力約1万のモン・タイ軍から1995年7月以降、シャン族約6千人が脱走、脱走者のうち約3千人は「シャン州民族軍」を組織するなど、組織が弱体化し、軍司令官辞任に追い込まれ、モン・タイ軍は翌年(1996年)1月、ミャンマー国軍との和平を余儀なくされた。

 

 

         1996年1月、ホモン

 

 

  ミャンマー、タイ、ラオスにまたがる世界有数の麻薬生産地である「黄金の三角地帯」で長らく「麻薬王」の異名を取ってきたクン・サー(1934年2月17日生まれ)が、1996年1月、ミャンマー軍事政権・国家法秩序回復評議会(SLORC)と停戦に合意し、ミャンマー軍事政権に「投降」した。

 

 ミャンマーの反政府勢力「全ビルマ学生民主戦線」の1996年1月3日の声明などによると、クン・サーのモン・タイ軍(MTA : Mong Tai Army)が、ミャンマー軍事政権と停戦交渉に入ることを決めた。モン・タイ軍の特使がヤンゴンにすでに到着し、ミャンマー東部の同軍本拠地ホモンにはミャンマー政権の部隊が向いつつあるとの情報もあると、1996年1月4日付の日本の主要紙でも報じられた。その後、戦闘なくしてミャンマー国軍がホモンを1月4日までに制圧したと伝えられた。モン・タイ軍とは、クン・サーの指揮下で「シャン族の分離独立」を標榜してきた兵力約1万人の軍事組織。

 

 そして、ミャンマー軍事政権は1996年1月8日夜、クン・サーのモン・タイ軍が同政権に「降伏」したと国営テレビで報じた。モン・タイ軍の本拠地ホモンに、1996年1月7日、ミャンマー軍事政権ナンバー2のマウン・エイ国家法秩序回復評議会(SLORC)副議長らを迎えて武器引渡しの式典を行った。この式典の様子がミャンマー国営テレビで放映されたが、テレビではクン・サーの処遇にはふれず、その姿も放映されなかった。

 

 ミャンマー軍事政権は、それまで麻薬にかかわるクン・サー側を「麻薬犯罪人」と呼び、クン・サー傘下のモン・タイ軍を他の反政府少数民族組織と区別し、麻薬組織とは交渉しないとして和平交渉の対象外とし戦闘を続けてきた。一方、モン・タイ軍は、1995年7月に一部が分裂し、クン・サーも1995年11月に引退を表明した。

 

 クン・サーがミャンマー軍事政権に本拠を明け渡したことに関し、1996年1月4日、バーンズ米国国務省報道官は、1990年にクン・サーをヘロイン取引の罪で起訴している米国政府が、ミャンマー側に身柄引き渡しを要求している事を明らかにした。クン・サーは本拠のホーモンにとどまっているとみられるが、報道官は記者会見で「彼は米国の法廷で裁かれるべきだ」と強調した。更に、東南アジアを歴訪中のロード米国務次官補(東アジア太平洋担当)は1996年1月13日バンコクで記者会見を行った。ミャンマー軍事政権に「降伏」した「麻薬王」クン・サーについて、政権がクン・サーに有利な取引をしたとすれば、「各国の麻薬規制に打撃を与え、(クン・サーが)自由の身でいるなら、国際社会は苦痛を感じることになろう」と、麻薬密輸の罪で起訴している米国に身柄を移すよう求めた。

 

 こうして、ミャンマーと米国との間には犯人の引き渡し協定がなく、米国から麻薬密輸容疑で起訴されている「麻薬王」クン・サーを、ミャンマー軍事政権がどう処遇するかが注目されたが、ミャンマー軍事政権は、クン・サーの米国への引き渡し要求を拒否し続けている。また、支配地をミャンマー軍事政権に明け渡し「投降」したクン・サー自身は、その後ミャンマー軍事政権によってヤンゴン市内にかくまわれているといわれ、クン・サーや彼の一族は活発なビジネス活動を続けている。

 

 尚、クン・サー率いるモン・タイ軍の支配地域のミャンマー国軍への明け渡しは、ミャンマーとタイとの間に軍事的緊張を一時高める事になった。ホモン周辺を1996年1月3日から4日までに占領したミャンマー国軍の一部がタイとの国境未画定地域にも侵入し、これに対しタイ国軍が重火器を増強して防備を固めるということが起った。タイ国軍筋によると、ミャンマー国軍部隊約1,500人が、1月4日までにモン・タイ軍が駐留していたタイ北部チェンマイ県メアイ近郊の戦略拠点ドイランを無血占拠した。このドイラン周辺はタイ、ミャンマー両国が領有権を主張する国境未画定地区で、これまではモン・タイ軍が占領していたため両国にとって一種の緩衝地帯になっていた。

 

 

   (参考資料:1996年1月の朝日新聞、讀賣新聞など)