歴史編ーベトナム編

                         イエンバイ蜂起

 

 

ベトナム国民党

 1927年暮れ、ハノイで学生、教師、下級官吏らにより結成された。三民主義の影響を受け、綱領に民族革命と社会革命を掲げる。テロリズムを重視し、1930年フランス植民地軍のベトナム人兵士を扇動してイエンバイ蜂起を起こす。グエン・タイ・ホックら指導者は処刑され、党組織は壊滅し中国へ逃れる。1945年中国国民党軍の進駐とともに帰国。べトミンと激しく民主共和国の主導権を争い、1948年親仏諸派とバオダイを擁立し南部で「ベトナム国」をつくる。

 

グエン・タイ・ホック

   (1901〜1930)

 

 ベトナム国民党の指導者。出生は北部ベトナム、ヴィン・イェン県ヴィン・トゥオン郡トー・タン村。

 ハノイにおいて師範学校とインドシナ高等商業に学び、国民党の前身の出版社ナムドン(南同)書舎に参加。1925年、フランス植民地当局に対し意見書を提出。ベトナム人の生活条件改善や祖国の商工業を発展させる為に新たな高等工業学校の成立とベトナム人が自由に学校を開設する権利を要求するが、無視される。更に彼は翌1926年、フランス当局に対して行政制度の改善と言論自由の実施を求めたが、何の結果も得られなかった。

 1927年暮れ、ベトナム国民党結成と同時に議長に選ばれる。1928年の党員によるプランテーション労働者募集請負業者バザン暗殺に対する弾圧のなかで武装蜂起志向を強めていき、1930年フランス植民地軍のベトナム兵士を扇動してイエンバイ蜂起を起こし逮捕・処刑された。

 

   

   

          1930年2月10日

 

 

 1927年のクリスマスにハノイでベトナム国民党が結成されるが、このベトナム国民党は、武装闘争によって祖国の主権を奪回し、共和制政府を樹立して、国家建設計画を実行する旨を主張する一種の革命政党であった。党設立に先立つ国民党の指導者たちの改良主義的な諸政治活動が実を結ばず仏当局から弾圧を受けたことから、北ベトナム地域の知識人民族主義者を中心に結成された党であるが、政党設立の当初から、武力によるフランス植民地権力の打倒を目指していた。党首にはグエン・タイ・ホック(阮太学)が選ばれた。イエンバイ蜂起とは、ベトナム北西部のイエンバイ(YEN-BAY:安沛)で、このグエン・タイ・ホック率いるベトナム国民党が1930年2月10日蜂起した事件。

 

 グエン・タイ・ホック党首ら党指導部は、党結成以来、武力蜂起を目ざして、植民地政府軍の中のベトナム兵士を党員に獲得していき、また北ベトナムを中心に中流階級知識人、教師、下級官吏、ブルジョアジーに支持を広げていった。1929年2月には、鉱山やゴム園の苦力労働者の斡旋で荒稼ぎをし「新世界」(娯楽場)の社長をしていた在住フランス人商人バザン(BAZIN)をハノイ路上で暗殺した。フランス当局は国民党のテロとして、烈しい弾圧を強行したが、阮太学は幸い逮捕をまぬがれ、全国を東奔西走して地下活動の強化を図り、各地の支部や新加盟同志の拡充に努めると共に、党の潜行工作を強力に推進し、民衆を鼓舞して反フランス武装抵抗を呼びかけた。

 

 仏当局の容赦ない大弾圧の前に多数の党員たちが次々に逮捕され、党の崩壊の危機にあたり、いまだ機は熟していなかったが、武力蜂起に立つ事を決定。決行の日は1930年2月10日と決められ、植民地政府軍内党員兵士を中核とする国民党蜂起軍が、北ベトナムのイエンバイ、ソンタイ、フートー、バクニン、ハイズオン、ハイフォン、キエンアンなど各地数箇所で一斉にフランス軍兵営を攻撃し、ハノイでも攻撃が行われると計画された。

 

 1930年2月9日未明、イエンバイのフランス軍兵舎の周辺に秘密攻撃部隊が集合。夕方には周辺の森林地帯に革命部隊が集結を完了した。2月10日午前1時、総攻撃が開始された。フランス人将校6人を殺害し、武器弾薬を運び出した。赤と黄色の革命旗が立てられた。攻撃部隊は丘の上にある主要兵舎への攻撃を開始し、午前5時には兵舎を制圧した。兵営の一時占領を達成したが、やがて反撃してきた政府軍により蜂起軍は苦境に陥り、攻撃部隊は大きな損害を出して付近の森林に撤退した。他の土地での蜂起も同様に、多勢に無勢という形で蜂起軍は苦戦となり、やがて国民党軍は総敗北となった。

 

 フランス軍の捜索がはじまり、大量の武器が押収された。グエン・タイ・ホックはからくも逃げることができたが、ベトナム国民党員たちはつぎつぎにフランスの秘密警察の手中に落ちた。グエン・タイ・ホックは敗勢を立て直さんとしてフードック県で最後の攻撃に出て一時県知事を捕えるなど戦果を上げたがやがて政府軍の反撃の前に敗れた。グエン・タイ・ホック自身は、1930年2月20日、ハイズオン県のコ・ヴィット部落で誰何されて逃げようとしたが足を撃たれて逮捕される。裁判でグエン・タイ・ホックをはじめとする国民党の幹部たちは死刑の判決を受け、1930年6月16日、グエン・タイ・ホックはイェン・バイの処刑場で他の党幹部12人と共に、ギロチン台で処刑された。

 

 阮太学が処刑の日を前にして、獄中からフランスの下院とインドシナ総督宛に手紙を書いており、自分に責任があること、他の者には責任はないので罪に落としてはならないこと、フランスの非人道的な政策を即刻あらためること、抑圧者ではなく友人として振舞うこと、自由と人権、新聞の自由を復活させること、不正を働く官僚を使っては成らないことなどを要望した。処刑場でも誇り高い姿勢を崩さず、「ヴェトナム万歳」を叫んで処刑された。

 

 

   *引用参考文献

     『物語ヴェトナムの歴史』(小倉貞男 著、中公新書、1997年)

      『ベトナムの事典』(同朋舎、1999年)

      『ベトナム人名人物事典』(西川寛生 訳・著、暁印書館、2000年)

      『東南アジア現代史』(今川瑛一 著、亜紀書房、1972年)

      『東南アジア現代史V』(山川出版社、1977年)