現代史 - カンボジア・ベトナム

              カンボジア駐留ベトナム軍の最終撤兵

 

 

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 「カンボジア駐留ベトナム軍」

 

            

        1989年9月21日〜26日

 

 カンボジアで、中国が支援するクメール・ルージュのポル・ポト派が、1975年4月17日にプノンペンを制圧。ベトナムではサイゴン陥落の1975年4月30日の直後から、クメール・ルージュの軍隊がベトナム領に攻撃をかけはじめ、1977年前半からベトナムとカンボジアの国境地帯で武力衝突が繰り返されるようになり、1977年12月、ポル・ポト派の民主カンプチア政府は、ベトナムとの国交断絶を声明。1978年12月25日には、ヘン・サムリンが指揮する「FUNSK(カンボジア救国民族統一戦線)」と共にベトナム軍は、カンボジアに侵攻。わずか2週間でポル・ポト軍を首都プノンペンから追い出し、1979年1月8日にはプノンペンに親ベトナムのカンプチア人民共和国政府(ヘン・サムリン政権)を樹立。

 

 しかしその後も、ポル・ポト派、シハヌーク派、ソン・サン派の抗越3派連合側の抵抗が続き、一時は、20万人の兵士をカンボジアに駐留させるに至り、国際社会での孤立の中で、ベトナム軍のカンボジア駐留は、最終撤退が行われた1989年9月までの、10年9ヶ月もの長きにわたった。

 

 ベトナムにとって、ヘン・サムリン政権がカンボジア国土の大部分を支配下におさめたことで、安全保障の面からは、カンボジア侵攻はベトナムに一応の成果をもたらしたものの、カンボジアで死亡したベトナム兵は、55000人、戦死と共に、マラリアによる病死が相当数にのぼり、また負傷し体が不自由になって帰国した兵士も5万人を越すといわれ、そのうえ経済的な負担も並大抵のものではなく、国力の摩滅と、経済援助の停止につながった西側から侵略者の烙印を押され国際的イメージの転落を招いた損失は大きかった。

 

 1983年2月に開かれた、初のインドシナ三国首脳会議で、カンボジア駐留ベトナム軍の逐年部分撤退が宣言され、ベトナムはその後、1990年までにカンボジアから完全撤退すると表明するが、1988年5月、ベトナム共産党政治局は、新たな外交路線についての「13号決議」を採択し、全方位外交路線への転換を決議して、まずカンボジア問題の政治解決を実現し、中国との敵対関係を解消し、アメリカや西側諸国と復交を図るという方針転換を行った。これを受けて、当初の予定を1年繰り上げて駐留カンボジアのベトナム軍の完全撤退を1989年に実施。

 

 ベトナム軍の最終撤兵の兵員数はベトナム政府発表によれば、2万6千人で、1989年年9月21日から最後の撤退を開始し26日に撤兵完了。1989年9月25日、ベトナム軍の進駐に終止符を打つ撤退式典が、カンボジアの首都プノンペンを中央会場にして、さらにベトナム軍の撤退ルートに位置する地方の数都市でも同時に行われた。

 

 当初ベトナムは、駐留カンボジアのベトナム軍の完全撤退の条件にカンボジア紛争の政治解決を挙げていたが、未達成のまま、三派連合勢力がカンボジア領土内に依然残っている状態で、駐留カンボジアのベトナム軍の完全撤退が行われることとなった。ベトナム軍撤退後のカンボジア内戦の行方については、一時内戦が激化したものの、1991年10月21日、カンボジア4派が参加するカンボジア和平パリ国際会議が再開され、同年10月23日、国連事務総長立会いの下に、全参加国代表によりパリ和平協定に署名が行われた。

 

  参考引用文献:

      「NHKスペシャル 激動の河・メコン」(NHK取材班、日本放送出版協会)

      「ベトナム戦争の「戦後」」(中野亜里編、めこん、2005年9月)

     

 

          ■讀賣新聞・夕刊 1989年(平成元年)9月21日 木曜 1面■

 

   ベトナム軍撤退開始  カンボジア

 

  【プノンペン21日=三好特派員】79年1月以来、10年余にわたりカンボジア駐留を続けた

  ベトナム軍の最終撤兵が21日朝から開始された。朝7時、シエムレアプ市にベトナム軍479

  戦車砲兵隊が750両のトラックとともに集結、バタンバン市に向かい出発するなど早朝からカ

  ンボジア国内の各駐屯地から将兵がトラック、装甲輸送車に分乗、プノンペンを始めとする集

  結地に向け、移動を開始した。

 

  ベトナム軍は各集結地で部隊を再編成し、歓送式典を終えた後、順次ラタナキリなどベトナム

  国境の州や国道1号線、コンポンソム港、プノンペン・ポチュトン空港など陸海空の撤退路を

  経由してベトナムへ帰国する。25日にプノンペン市王宮前で最後の歓送式典が行われ、26日

  までに撤兵を完了する。

 

  ベトナム軍は、79年の侵攻当初、20万人。その後82年7月以来7次にわたり、撤兵を行って

  きた。最終撤兵の兵員数は2万6千人(ベトナム政府発表)。

 

  ベトナムにとっては、10年間の国際的孤立から解放され、またヘン・サムリン政権の承認にも

  道を開く可能性もある。

  

  【ハノイ21日=共同】ベトナム外務省は21日「ベトナム軍はカンボジアの独立と主権を尊重

  するため21日、カンボジアからの最後の撤退を開始した」との声明を発表した。

 

   ■讀賣新聞 1989年(平成元年)9月26日 火曜 国際(5)■

 

   ベトナム軍 きょう撤退終了  首都は歓送式典に沸く

 

  【プノンペン25日=丸山、長谷川特派員】

  カンボジア各地から撤収のため拠点に集結していた最後の駐留ベトナム軍は、25日朝から陸、

  空、海、河川各ルートを通って、ベトナムに向け一斉に移動を開始し、一部は国境を越えてベト

  ナム領に帰着した。26日中に約2万6千人(ベトナム側発表)全員が撤退を終え、1978年12

  月に始まったベトナム軍の駐留は、10年9か月ぶりに終止符を打つ。

 

  首都プノンペンでは、同日朝7時(日本時間同9時)から旧王宮前広場で最後の歓送式典が開

  かれ、プノンペン政府の最高指導者ヘン・サムリン人民革命党書記長ら要人、約10万の市民、

  西部の要衝を守ってきた精鋭のベトナム軍戦車、砲兵部隊479、979軍代表のほか外国人

  オブザーバー約100人も出席した。