バンコクを新婚旅行中の日本人夫婦が、1989年3月21日未明、バンコク国際空港から、バンコク市内に向かうため、客として乗った白タクの運転手に襲われ、夫は意識不明の重体、妻もけがをした。被害にあったのは、神奈川県■■市、県立■■■■高校教諭、■■■■さん(32)と妻のデザイナー、■■■さん(34)。
タイの日本大使館に入った連絡によると、1989年3月21日午前1時ごろ、バンコク空港で、タクシーと思って乗り込んだ車でバンコク北郊外のノンタブリ県に連れ出され、運転手ら2人の男に車外にひきずりおろされて頭部を殴られ、リュックサックやカメラなど旅行荷物を奪われた。
倒れている2人を約2時間後に、地元警察のパトカーが発見(ノンタブリ県サイマ地区の路上)、病院に運んだが、男性は頭の骨を折っており、意識不明の重体。女性も頭に打撲症などを負った。タイ警察当局は、バンコク空港に出没する白タク業者の犯行とみて、意識の回復した女性に、白タクの札つきグループの顔写真などを見せる一方、空港周辺の聞き込み捜査から容疑者を絞り込んでいった。(バンコク空港では、本事件発生当時の10年以上も前から、この種の白タクが横行、特に本事件発生当時の3,4年前からの観光ブームでさらに増していて、これまでにも西洋人の観光客らが同様に襲われて負傷するなどの事件が起こっていた。)
この日本人夫婦は、1989年3月19日に挙式をあげ、3月20日、成田発のノースウエスト機でバンコク空港に到着。バンコク市内で一泊した後、ネパールへ向かう予定だった。高校教諭のこの日本人男性は、大学卒業後、1年半かけて東南アジアなど34カ国を回るなど、海外旅行好きで、特に東南アジア好きの「海外慣れ」した人であった。
意識の回復した女性の証言によると、事件当日の1989年3月21日未明、2人をバンコク国際空港から乗せた白タクは、最初運転手1人だけだった。が、途中でエンストするなどし、再び空港に引き返して、別の男が助手席に乗り込んだ。バンコク市内とは逆の約15キロ北方のノンタブリに連れて行かれ、人気のない夜道で夫婦とも車から引きずり出され、いきなり凶器で頭などをメッタ打ちにされたという。
意識不明の重体だった日本人男性は、事件発生から3日後の3月24日午前6時45分、入院先のプミポン病院で亡くなった。遺体は、3月25日午後、プミポン病院から遺族に引き渡され、バンコク市内のスクンビット通り沿いにあるタトーン寺院に安置され、翌3月26日荼毘にふされる。日本人男性の遺骨は、3月27日早朝のバンコク発成田行きの日航728便で、妻と実父らに守られ、日本に戻った。
その後、タイ空軍憲兵隊とタイ警察当局は、1989年4月5日、タクシー運転手の犯人2人を逮捕したと発表(2人の逮捕は4月4日夕)。2人はふだんは普通のタクシーの運転手をしているが、勤務がない場合に、白タクを副業としていた。2人は一旦は犯行を自供していたが、1989年4月19日ノンタブリ地方裁判所で開かれた第2回公判で、強盗殺人罪で起訴されていた両被告は、これまでの供述を覆し、犯行を全面否認した。1984年度マグサイサイ賞を受賞するなど人権派弁護士としてタイで著名なトーンバイ・トンパオ弁護士も4月24日の第3回公判から、この事件を「捜査当局による自白の強制」とし冤罪事件として争う弁護側に加わることにもなった。
日本にも衝撃を与え、タイのイメージを損なったこの事件の裁判の結果については、1989年6月29日、強盗殺人罪に問われていたこの2人に対し、タイのノンタブリ地方裁判所は、それぞれ死刑の判決を言い渡している。
参考引用資料:
*1989年3月〜6月の「朝日新聞」など