メコン圏と関わった日本人作家                

       伴野 朗(1936〜2004年)  

             中国(近・現代)を舞台とした小説  

 「毛沢東暗殺」 

          祥伝社ノン・ポシェット、1998年(作品は1995年祥伝社ノン・ノベルから発行)

 

 新聞記者時代、「林彪事件」の公式発表に疑問を抱いた中堅作家・杉江は、この文革最大の謎を秘めた事件を徹底的に追跡し検証するために18年の時を経て、第2次天安門事件を2ヶ月後に迎えることになる1989年4月北京に飛んだ。そして取材を進めるうちに、現代中国を揺るがす驚愕の真相に突き当たった!

 

   主たる登場人物:杉江恭治、陳君(国家安全部の美女)、超方便(林彪事務室機密秘書)

     結城拓三(内閣官房内閣調査室中国班副班長、上海の東亜同文書院出身)

           由良保(中央日報北京支局長)、孫麗華(北京大学史学系学生) など

 

   ストーリー展開時代:1971年9月、1989年4月〜6月

              ストーリー展開場所:河北省山海関、青森県三沢、深圳、香港、東京、北京、上海、広州、

 

 ・林彪はモンゴルで墜落した飛行機に本当に乗っていたのか?

 ・もし黒焦げの死体が、林彪ではなく別人であったら、林彪は何時誰にどのようにして殺されたのか?

  ・そもそも「林彪事件」とは反革命クーデターだったのか?毛沢東暗殺計画とはどのようなものであったのか?

 ・キッシンジャー米大統領補佐官訪中(71年7月)から米中国交回復を進める周恩来と、ソ連重視の林彪との対立は?

 ・江青、張張橋、姚文元、王洪文の「四人組」、林彪一派、周恩来派(葉剣英も?)、毛沢東派それぞれの関係は?

 ・解放後は鳴かず飛ばずの状態が続いた林彪が、廬山会議で彭徳懐が失脚して以来目覚しい台頭を見せた原因は?

 ・毛沢東、周恩来と指揮系統がしっかりしていた党中央が、71年国慶節前夜の恒例の3紙誌共同社説の発表を見送ったり、

  友好国や友好組織に「林彪失脚」をすぐに通知できなかったほど、混乱していた理由は何か?

 ・1935年の遵義会議で初めて主導権を確立する毛沢東にとって、毛体制確立・堅持へのライバルは?彼らへの対応は?

 

 ・林彪(1908〜1971) 湖北省黄安県出身。1924年黄埔軍官学校入学、25年共産主義青年団に加入28年南昌蜂起に参加、28年井岡山で紅軍建設に加わり、抗日戦では37年9月板垣師団を山西省東北の要衝・平型関(林彪指揮下の八路軍が、日本軍補給部隊を攻撃、全滅させた。八路軍最初の勝利で抗日の機運が高まった)に破ったことが有名1954年国務院副総理・国防委員会副主席、56年中共第8期中央委員・同政治局委員、58年中央委副主席・政治局常務委員に選ばれた。59年彭徳懐(1897〜1974 湖南省出身。抗日戦では八路軍副総司令)国防部長が、毛沢東路線と対立し失脚した後、国防部長に就任。文化大革命の強力な推進者で、69年4月の中共9全大会で毛沢東の後継者に指名された。しかしその後の対外路線をめぐる対立に加えて、林彪が70年9月の第9期中央委員会第2回総会で国家主席(68年11月劉少奇失脚後、空席)就任を要求したことで党内対立が深まり、1971年9月、追い詰められた林彪らは毛沢東(1893〜1976)を打倒するクーデターを計画。これに失敗した林彪はソ連に逃亡途中、乗機がモンゴル人民共和国領内(ヘンティ省ウンデルハン近く)で墜落し死亡したと、のちに公表される(詳細な真相は不明)

 


  「上海遥かなり」 

    集英社文庫、1995年(作品は1992年有楽出版社より発行、実業之日本社より発売)

 

 中央日報上海支局長・土屋慎介は、現地紙の歴史コラムに目を奪われた。1944年名古屋で病死したはずの汪兆銘(精衛)が、実はひそかにある目的のために中国に戻ったものの、蒋介石側に察知され上海で暗殺されたと言う内容であった。土屋は興味を持ち調査を始めるが、執筆者の失踪や中国公安局からの執拗な脅迫と不可解な出来事が起こる。しかし次第に、これら謎の事件の背後で、1944年当時の日本陸軍の起死回生の謀略、更に第2次天安門事件直前の現代中国における改革派と保守派の暗闘が次第に明らかになっていく。ちなみに、土屋慎介は、『毛沢東暗殺』で主人公・杉江恭治(作家)の友人としても登場している。

 

 主たる登場人物:土屋慎介、鄭経(上海紙の記者)、榊善三(日本大手建設会社からの出向駐在社員)

    曹軍民上海市近代資料館研究員)、宗君慧(公安局副局長)、他、上海市長、上海副市長など

             ストーリー展開時代:1944年、1989年頃

             ストーリー展開場所:上海、呉淞、崇明島、南通、杭州、蘭州、敦煌、名古屋、東京 など

 

汪兆銘(1885〜1944) 広東省番禺県の人。字は精衛。日本に留学し法政大学を卒業。留学中、中国革命同盟会に加入し、胡漢民(1879〜1936)と共に機関誌「民報」に健筆をふるい、「民族の国民」などの名文を発表した。1911年清朝の摂政醇親王載灃(さいほう)の暗殺を企てて失敗。死刑の宣告を受けたが、第1革命・第2革命に孫文(1866〜1925)に従って活躍した。1924年国民党の改組に尽力し、中央執行委員になった。孫文の死後、廖仲ト(1876〜1925暗殺)らとともに国民党の指導者の一人となり、1925年には国民党宣伝部長となった。だが軍の実権を握る蒋介石(1887〜1975)ら国民党右派との対立を深め、下野外遊した。27年国民革命の進展によって、政府の武漢移転後、中央全体会議の決議に迎えられて帰国。国共合作の武漢政府に参加した。27年7月第一次国共合作が崩れ、共産党が追放されて以後、南京国民政府との合体を策し、統一政府樹立後(同年11月)は、要職につき、蒋介石と妥協したが、27年末広州コミューン事件のため、いずれの側からもいわれのない批判を受け、再びフランスに去った。29年帰国。31年まで閻錫山(1883〜1960)、馮玉祥(1880〜1948事故死)ら軍閥あるいは西南派などの反蒋運動に加担。しかし満州事変後は蒋と協力し(蒋汪合作政権)32年に国民政府行政院長となり33年には外交部長も兼任。日本との交渉にあたった。抗日戦争がはじまると日本との和平による救国を主張し、抗戦派と衝突を続けた。一方、日本軍部は政府の承認をうけて汪兆銘担ぎ出し工作を進めた。1938年12月、汪兆銘は妻・陳壁君、周仏海(1897〜1948獄死)らと重慶を脱出し、ハノイに逃れた。同月22日の近衛声明に呼応して、29日反共和平救国声明を発し、民族統一戦線を裏切った。1939年6月重慶政府より逮捕命令が出される一方、汪兆銘は40年3月、親日政権である南京政府を作り、日本の承認を受けて、やがてその主席に就任した。しかし中国民衆の支持を得ることが出来ず、漢奸の代表的人物とみなされた。1935年刺客から狙撃された際の傷が悪化。1943年12月南京の日本陸軍病院で弾丸の摘出手術を受けたが、経過が悪く、1944年3月3日日本で手術を受けるために来日し、入院となった。日本医学界の最高権威が手をつくしたものの、1944年11月10日日本・名古屋(名古屋帝大医学部付属病院)で没した。尚、妻・陳壁君は戦犯として捕らえられ、59年上海の監獄で病死した。


 「五十万年の死角」 

      講談社、1976年

 日米開戦の当日、北京協和医科大学新生代研究所から行方不明となった「北京原人」の骨をめぐり、日本軍軍属の主人公、特務機関、国民党、中国共産党などが互いにしのぎを削りあうサスペンス・ミステリー。

      

北京原人Sinanthropus Pekinensis  周口店(北京市の西南約50kmに位置する町)の町の西の石灰岩の竜骨山から北京原人の骨が出土。1918年アンダーソン(1874〜1960 スウェーデンの地質学者・考古学者。1914年から25年まで中国地質調査所顧問として各地を調査発掘。北京原人の発見や、河南・甘粛における彩陶の発見は良く知られた功績)によって動物化石を得るために始められた遺跡の調査は、1923年にズダンスキーが古人類のものと考えられる臼歯を発見。これが発表されるとにわかに学界の注視は周口店に集まり、1927年以降、ロックフェラー財団の援助により、人骨を求めた発掘が進められ、1929年には裴文中によって見事に保存された頭蓋骨が取り出された。太平洋戦争までに頭蓋骨を含めて45体分の人骨が、竜骨山の下部の猿人洞から発見された。調査は戦後も続けられ、北京原人は狩猟生活を送り、石器と火を使用していたことが確かめられた。竜骨山の上部には山頂洞があり、そこからはより新しい山頂洞人(ホモサピエンス)の骨が出土している。


  「蒋介石の黄金」 

      徳間文庫、1999年 (単行本は1980年光文社より刊行)

 

  ストーリーは、終戦後間もない1947年(昭和22年)東京・新橋のマーケットから始まる。かつては「上海の牙」と怖れられた元日本軍特務機関員の滝安吾は、上海時代の親友の依頼で再び上海に渡ることになる。時の中国は、日本の降伏前後から中国の真の支配者をめぐってアメリカの全面支持を受けた蒋介石総統率いる国民党と、各地に解放区を拡大した共産党との間で内戦が再発、緒戦では米国に支えられた国民党が圧倒的に優位にあったが、ここへきて戦局は膠着していた。しかしながらいまだ首都・南京をはじめ、上海・重慶など主要な都市は国民党の支配下にあった。上海市長からある荷の運搬を命じられていた親友は何者かに襲われ瀕死の重傷を負っており、滝安吾がその仕事を引き受けることになる。しかしその滝の周りには、秘密結社の青幇グループ、共産党直属のゲリラグループ、対華経済協力機関(ECA)メンバー等の米国勢力、匪賊集団、台湾独立運動メンバー、元米軍パイロット、藍衣社など多彩なグループ・メンバーが登場し、各グループ内のスパイや内部争いもあって複雑にストーリーは絡み合っていく。国共内戦の展開(1947年3月国民党の延安攻略、1947年7月蒋介石の全国総動員宣言)、国民党の経済政策(戦費集め・インフレ対策など)、米国の中国での狙い(1946年11月米華友好通商航海条約、1947年3月トルーマンドクトリン、ECAの役割など)、台湾での事情(1947年2月の台北暴動、独立運動)、藍衣社や青幇等の秘密結社の歴史と役割など興味尽きないテーマなどもふんだんに盛り込まれている。C物資とか「信夫翁(アホウドリ)作戦」とかの謎に加えて、地球的スケールの巨大な陰謀やいろんなどんでん返しが終章に用意され最後まで非常に楽しませてくれる冒険活劇である。更にストーリーの展開にあわせ登場人物の移動に従うと、途中の町や景観の説明もあって自然に長江の上り下りの旅を味わえるようになっている。日本の降伏後中国に残留し馬賊となっていった元日本軍兵士たちや、同じく日本の降伏後も中国に残り国民党の傭兵等になっていった元「空の賞金稼ぎ」フライングタイガースのアメリカ軍パイロットなど、第2次世界大戦終結後も中国に残留し別の生き方をしていった外国人の人生もなかなか強烈だ。

 

 主たる登場人物:滝安吾(元日本軍特務機関員)、孔子敦(滝の上海の友人で、輸送業「三峡水運公司」経営)、

  郭健(「黒将軍」と呼ばれる馬賊の頭領。元日本陸軍軍曹)、孫司令(共産軍直属のゲリラ組織の首領)

  呉国驕i上海市長)、趙象生(青幇の殺し屋)、蒋大東(藍衣社の首領)、廖克平(藍衣社の重慶での親分)

  ギャボット(アメリカ上海総領事)、ダビット・G・バー中将(アメリカ駐華統合軍事顧問団(JUSMAG)団長)

  ロジャー・D・ラファム(対華経済協力機関(ECA)委員長)、ジェームス・ギルバート(ECA勤務、元連邦捜査局(FBI)員)

  トーマス・ランキン(アメリカ合衆国空軍の元パイロット) など

 ストーリー展開時代:1947年8月〜1947年11月 +エピローグ(1948年9月以降)

ストーリー展開場所:東京(新橋・浜松町・新宿)、ロンドン、上海、重慶、宜昌、武漢、南京 など

 

蒋介石(1887〜1975) 1887年生まれ。浙江省奉化県の人。名は中正で、介石は字。1906年河北省・保定軍官学校入学、1907年日本陸軍士官学校に学ぶ。孫文の革命同盟会に加わり、辛亥革命にも参加した。1922年、広東の国民党政府に走り、翌1923年孫文の大本営参謀総長となる。ソ連のコミンテルン代表から革命のための軍隊の軍隊の必要を説かれた孫文から、ソ連留学を命じられた。帰国後、1924年黄埔軍官学校を創立、初代校長に就任。1926年国民革命軍総司令に就任し、第一次北伐開始と同時に、その先頭に立ち、武漢(漢口)から南京にかけての長江沿岸地帯を占領したが、1927年反共に転じ、1927年4月12日、上海で反共クーデターを決行し南京政府を樹立した。1928年第2次北伐で北京を支配。巧みに軍閥軍を操縦して指導権を確立、念願の共産党討伐を開始した。1936年12月西安で張学良に監禁される西安事件によって「容共抗日」の政策転換を余儀なくされ、1937年第2次国共合作に踏み切った。しかし抗日戦の勝利をきっかけに、再び国共内戦が勃発した。1949年ついに中国本土を捨てて台湾に移った。その後も中華民国の正統政府と称して大陸反攻を高唱し、共産党政府に対抗しつづけたが、1971年台湾政府は国連の議席を失い、失意のうちに1975年没した。


 「ケ小平の遺書」 

      小学館、1999年9月 (小学館発行の「文藝ポスト’98創刊号〜’99年春号連載)

 

1997年2月ケ小平が92歳で亡くなった。この眼で見たいといっていた香港返還まであと4ヶ月ちょっとであった。そしてケ小平の死後、「ケ小平の遺書」と称する怪文書や噂が出回る。その要点は天安門事件の否定と華南経済圏の独立で、江沢民政権の命取りになるものであった。江沢民体制の最後の体制固めが進む中、これに反発・抵抗するする諸勢力が、中国の現体制に恨み・不満を抱く元解放軍兵士や元民主派の女性活動家をも利用し、ケ小平死後の混乱を狙い、香港返還という大イベントに際しても恐るべき大陰謀計画が進められる。果たして江沢民の懐刀・曾慶紅率いる江沢民弁公室はこの動きを阻止できるのか?中国の混乱を望まぬアメリカはどう動くのか?台湾や香港、従来の広東勢力は?僅か数年前の現代中国をめぐる情勢や共産党内の権力構造と闘争を題材とした国際謀略小説。曾慶紅(江沢民の腹心)。葉剣英(革命第一世代の英雄で元国家副主席)の長男・葉選平(「華南のドン」といわれた元広東省省長)一族と朱森林・謝非等の広東勢力とこれに対する北京中央勢力とのせめぎあいは、江沢民「帝国」確立の流れでの李鵬の失墜、陳希同一派「北京閥」の追い落とし、喬石失脚などとともに、興味深い動きである。もちろん伴野作品らしく、本書各所に中国事物・人物・土地などの紹介がふんだんに配されている。

 

主たる登場人物:杉江恭治(作家)、李永星(1928年生。広東省潮州の出身、香港最大の財閥「銀河実業グループ」の総帥)

  唐聞天と朱艶(広州に本社を置く商社・永安総商務公司の男女社員で北京での工作員。広東省の反北京勢力の隠れ蓑)

  何然之(永安総商務公司副社長)、包申立(香港の大財閥・包グループ総帥の遠縁)

  ジョン・グリフィー(駐北京アメリカ大使館の参事官)、ニール・ラッセル(米国駐香港総領事館の情報担当領事)

  楊基開(台湾の情報機関「軍統」の副局長)、周岐山(台湾情報機関の凄腕工作員)

  梁達明(元解放軍兵士)、黄麗華(元民主派の活動家)、頼充(広州のギャング。元近衛兵リーダー)

  宋仁生(江沢民の腹心・曾慶紅の部下で、党中央弁公庁警備室副主任)

ストーリー展開時代:1997年2月19日〜1997年7月1日

ストーリー展開場所:北京、香港、広州、台湾、深圳、東京、 など

 

ケ小平(1904〜1997) 1904年8月22日、四川省嘉定県に生まれる。客家出身。フランスに留学、中共フランス支部に加わり、帰国後中国南部での武装蜂起や1934年の長征に参加。その間、当時の党主流派と対立して、最初の失脚。抗日戦争中は八路軍129師団政治委員・中共中央革命軍事委員会総政治部主任、国民党との内戦時には、1945年中共中央委員、1949年第2野戦軍政治委員を務め、建国後、1950年中共中央西南局第一書記・西南軍政委員会副主席、1952年8月、西南地区での手腕を買われ、中央にはじめて政務院副総理として進出する。1954年国防委副主席、1955年党中央委員会政治局委員、1956年同政治局常務委員・党総書記(この当時の党総書記は、党のトップではなく、党中央書記処を統括するポスト)と政権の中枢に参画した。1963年の中ソ論争では、中国代表団を率いてモスクワに乗り込み、スースロフ・ソ連代表とやりあった理論家でもある。文化大革命では、資本主義路線をとる実権派として、劉少奇国家主席とともに激しく批判され2度目の失脚をした。その後1973年には副首相として復活したが、文革末期の1976年、江青・毛沢東夫人等4人組の圧迫を受けて三たび失脚した。その後毛沢東・党主席が死去、「四人組」が逮捕され、1977年7月に党副主席で復活、華国鋒党主席から実権を奪った。1978年12月の11期3中全会で、改革・開放を決定。1989年6月、天安門事件後に開かれた13期4中全会で江沢民上海市党委書記を党総書記に抜擢した。


 「上海発奪回指令」 

      ハヤカワ文庫、1995年 (単行本は1992年早川書房より刊行)

太平洋戦争が始まってほぼ1年経った1942年11月、同年6月のミッドウェー海戦で勝利を収めたものの、アメリカは日本海軍の動向に神経を尖らせていた。日本本土に機能的なスパイ組織をもたないアメリカの要請で、日本海軍使用の暗号「JN-3」(海軍暗号波一)の解読を図る蒋介石・重慶国民政府は、戴笠率いる藍衣社(復興社)に日本海軍の暗号書と乱数表を奪取し上海に送れという秘密指令を発した。こうして日本に派遣された重慶国民政府のトップ工作員が羅刹女で、変装を得意とし、その素顔は知る者さえいないという謎の中女スパイであった。中国特務工作員は果たして如何なる方法で暗号機密を秘密裏に得ようとするのか?暗号機密を盗んだ羅刹女から東京・本富士署の刑事や、海軍警備司令部からの依頼で、急遽上海から長崎に向かった上海特務工作員の山城は、果たして暗号機密を奪い返せるのか?東京ー長崎間の列車、長崎ー上海間の船上で追跡と死闘が繰り広げられる。更に日本側の暗号機密奪取の任務の成否に、連合艦隊司令長官・山本五十六の命運がかかっていようとは!共産党の特務も登場する謀略の最前線たる上海や、太平洋海域での日米戦争の展開、軍の暗号とその解読などにも興味が持てる冒険アクション。

 

主たる登場人物:山城太助(日本の上海での特務工作員)、トラ(山城の片腕)、山本五十六(連合艦隊司令長官)

  羅刹女(戴笠率いる藍衣社の女特務工作員で、中国革命を夢見た大陸浪人の日本人を父に持つ)

  張培元(日本軍の暗号解読のため、上海に密かに設けられた国民政府の秘密機関・軍事委員会技術研究室主任)

  尹子文(上海のドイツ系理科大学同済大学数学科を首席で卒業した暗号解読の天才)

  趙雲峰(ジェームズ・チャオ、アメリカ海軍情報部の少佐)、孫逸権(中国共産党上海支部委の候補書記)

  王建南(日本に帰化した元華僑の中に出来たスパイ組織「愛国会」の機関長。福州出身の中華学校の教師)

  上原繁太郎(海軍上海連絡部警備本部警備指令。少佐)、

  藤掛伝七(警視庁本富士署部長刑事)、梅原初代(海軍軍令部第4部第10課の文書・書類保管係)

  鈴木三郎(菱井物産本社秘書課課長補佐)、古川みどり(菱井財閥当主の姪)、松永一夫(「上海丸」水夫長)

  大橋総一郎(秩父困民党の首謀者の一人を父に持ち、孫文の中国革命に共鳴した元大陸浪人) 等

 

ストーリー展開時代:1935年2月(プロローグ)、1942年11月〜1943年5月

ストーリー展開場所:、上海、東京、奥秩父、長崎、ハルピン 等


           中国(近代以前)を舞台とした小説  

「長安殺人賦」 

      集英社文庫、1998年 (単行本は1994年日本文芸社より刊行)

 楊貴妃との愛欲の日々に溺れ、「開元の治」といわれた玄宗(唐の6代目皇帝)の治世も綻び始めた唐の都・長安。飲み友達同士の李白と阿倍仲麻呂が、陽春に誘われ、曲江(長安の東南隅にある園池)の畔で盃を傾けていたところに、突然、日本人留学生が倒れこみ「しょうりゅう・・」というダイニングメッセージを残して息絶えた。阿倍仲麻呂は、殺人事件の真相を探るべく、留学生仲間を訪ねまわり、李白(701〜762)もその捜査に協力する。この2人に、玄宗(685〜762)、楊太真(玉環、後の楊貴妃719〜756)、李林甫(宰相?〜752)、李白を妬む高力士(宦官684〜762))などの実在人物が絡み、更に少林寺拳法の達人や、一般に胡姫と呼ばれていたペルシャ美人、宰相側の刺客、長安・右街の金市にある酒肆の親父や美人の女主人、金市の雑技小屋のペルシア人親方などが登場する。そしてこの日本人留学生殺人事件は、現在のトルファンの地にあり640年唐の太宗に滅ぼされた高昌国の末裔による唐朝転覆の大陰謀につながっていた。・・・・

 唐王朝でのすさまじいばかりの権力争奪の歴史や雑多な人種が同居する国際都市・長安の街の成り立ちとにぎわいの様を知ることができるだけでなく、漢詩の世界、中国における食人肉の歴史、崑崙山への昇仙信仰、大麻(ハシシュ)の歴史、中国拳法などにも関心が持てる歴史ミステリー。

     ストーリー展開時代:唐(618年〜907年)の時代:天宝三載(744年)玄宗皇帝期(在位712〜756)

     ストーリー展開場所:長安(唐の都)

 

安部仲麻呂(698〜770) 文武天皇2年(698年)中務大輔・阿部船守の長男として大和の国に生まれる。第8次遣唐使団の一員として開元5年(717年)長安に到着。入唐後、太学(文武官5品以上の子弟の最高級の教育機関)で学び、科挙の進士科の試験に合格し、唐の高等官として昇進していく。753年の冬、第10次遣唐使団の帰国に際し、中国側の使節として同行が許された。一行は揚州に下り、長江南岸の黄泗浦(江蘇省鹿苑)から船出し、大使の藤原清河らとともに第1船に乗ったが、沖縄本島に到着後、暴風雨に遭遇し、ベトナムの地まで第1船は流されてしまう。しかし何とか生き抜き755年6月、長安にたどり着いた。玄宗の死後、左散騎常侍(皇帝直属の諌官で従3品)に昇進。続いて鎮南都護(ベトナム方面の最高長官で、正3品)となった。日本に帰国することなく、長安で没した(享年72)


  「南海の風雲児・鄭成功」 

   講談社文庫、1994年

  (単行本は1991年講談社より刊行)  (左が文庫版、右が単行本)

 

鄭成功(1624〜1662) 明末清初、台湾と大陸沿岸一帯に活動した海上勢力の支配者。成功は、父・鄭芝竜(1604〜61)と日本人の母・田川氏との間に生まれた。1646年、南明の唐王が捕われ、父・芝竜が清に降った後も、永明王を奉じて戦い、1650年アモイを拠点とし、57〜59ねんには江南に進出、一時は南京を占領したが、敗れてアモイに退いた。この間、日本・ルソン・南洋諸地域と貿易活動を行った。清朝は1960年アモイを攻め、翌年遷界令を発して圧迫を加え、他方雲南の南明政権も呉三桂ら清軍の追撃の前に滅亡寸前の形勢であった。1661年鄭成功は、オランダ人を駆逐して台湾に拠った。貿易を拡大するためルソン島のスペイン総督に帰服を要求したり、福建・広東の移民を台湾に招致するなど経営に務めたが、まもなく病死した。その後、孫の代になり、1683年、清朝に降った。


   「大遠征」 

      集英社文庫、1994年 (単行本は1990年集英社より刊行)

 漢景帝の子、長沙王劉発の末裔という劉秀(光武帝)が長安ではなく洛陽に後漢王朝建国し24年後、17歳の班超は憧れの地、西域へと出陣する夢を抱いていた。後に西域都護として名をはせる武将の若き日の姿であった。だが、その地は、・・・武術と妖術が乱れ飛ぶ、漢と匈奴の対決の場であった。兵を率いて最前線で闘う班超に襲いかかる度重なる危機と、「裏墨家」対「戌陰陽」の果てしなき抗争! 英雄の波瀾にみちた生涯を描く歴史小説。交阯(ベトナム北部)の徴側(チュンチャク)、徴弐(チュンニ)姉妹の紀元41年の反乱(この姉妹はベトナムではハイ・バ・チュンの名で抗中国の英雄として知られている)を平定した伏波将軍・馬援

 

 

 

  主たる登場人物:班超、班彪(班超の父)、班固(班超の兄)、馬欣(馬援の晩年の妾腹の娘)、李大成(長安の富豪)、

     高喬(名代の陰陽師)、董生(平陵の素封家)、董民(董生の一人息子)、倭麻呂(倭人で奴の国の実力者の家の奴隷)

  ストーリー展開場所:長安、平陵

  ストーリー展開時代:紀元49年(建武25年)〜

 

班超(32年〜102年) 平陵(陝西省咸陽)生まれ。父は前徐令の班彪、兄は班固。後漢の将軍で西域経営者。扶風安陵(陜西)の人。


  「朱龍賦」 

      徳間文庫、1995年 (単行本は1992年徳間書店より刊行)

 

 朱元璋(1328〜1398) 明初代の皇帝・太祖(在位1368〜1398)。洪武帝ともいう。濠州(安徽省鳳陽県)の貧農に生まれ、紅巾軍の郭子興(?〜1355年)の部下となって頭角をあらわした。やがて、群雄を降して1368年、明を建て、南京に都を定め、洪武と建元し、さらに元を蒙古に駆逐し中国を統一した。

 

 

 

 


                         現代日本を主舞台とした小説  

 「香港から来た男」 

      講談社文庫、1988年 (1983年講談社より刊行)

 東京に向かう東海道・山陽新幹線「ひかり36号」の車中で、鹿児島の弁護士が怪死、アタッシェケースが消失した。同じ頃、香港九龍半島・廟街では日本人美術商が死んで、漢字からなる奇妙な暗号を残していた。2つの事件は意外な展開をみせ、8世紀中頃の鑑真和尚渡来のナゾに関連してゆく。これらのナゾを香港の名探偵・陳展望が日本にやってきて見事に解き明かしていく現代推理小説。

 香港探偵が取り組む新幹線車中での毒薬投与トリック、走る密室からのアタッシュケース消失、暗号解読などの謎解きも楽しいが、日本上陸地点・王羲之の書・11年間に6回もの日本渡航計画を可能にした財力など鑑真にまつわる話も大変興味深い。特に鑑真が第5回渡航計画失敗後接点を持った海南島の大海賊・馮若芳については、唐時代の海を越えての南世界との交流とあわせもっと知りたくなってくる。終章には、瑞金ソビエト政府・長征の遵義会議の時代にからむ現代中国の政治家大物2人にまでつながるスケールの大きな話が用意されている。料理に関する話も満載である。尚事件の鍵を握る2人の日本人男女・深田恭一と香山国江は、共に解放前のサイゴンに関わっている。

 

 主たる登場人物:陳展望(香港在住)、佐島亮太警視長(鹿児島県警本部長)、川津部長刑事(鹿児島県警)

  衣川嘉彦(警察庁キャリア、日本在香港総領事館の民生・治安担当領事)、中村明(新幹線車掌長)

  潘警部(香港警察殺人課)、中平亨(弁護士、元判事)、牧村真覚(鹿児島県坊津の古刹の次男)、

  マサやん・シゲやん(釜ヶ崎の売血常習者)、久我政信(京都の古美術商)、深田恭一(京都の骨董屋・今昔堂の番頭)

  香山国江(東京にある華僑資本の会社・室町開発の社長秘書)、方瑞山(香港の大財閥グループ総帥)

  北尾実(覚醒剤の常用者で通り魔事件の犯人)、王大東(国家対外貿易委員会主任)

 ストーリー展開場所:鹿児島県(坊津町、枕崎市、鹿児島市)、愛媛県松山市、大阪市西成区の釜ヶ崎、香港、広州、

     京都、名古屋、東京(日本橋)

 

鑑真(688〜763) 南都律宗の祖。揚州江陽(江蘇)の人。俗名の姓は淳于。14歳の時、出家。師は揚州大雲寺の智満。一方、732年伝戒の師を招聘する勅命を帯び唐に渡った奈良・興福寺の僧、栄叡・普照は中国各地に高僧を訪ね、渡日受戒を請うも、危険を冒してまでの渡日の承諾は得られなかった。そして742年12月高僧の評判を聞き揚州・大明寺を訪れ、渡日受戒のために門人を紹介してもらおうと鑑真和上に懇請。尻込みする弟子達を前に自ら渡日を決意し身命をかえりみず前後6回日本渡航を企てる(743年4月の第1回渡航計画は密告され失敗。第2回渡航は743年12月揚州を船で出発するも暴風雨に遭い失舟山列島附近で船が難破、漂流中を助けられ明州(寧波)の阿育王寺に収容された。第3回渡航計画は越州の僧侶の密告で実行着手前に失敗。第4回目の計画も744年福州への途中で密告により官憲に捕らえられる。第5回目は748年に実行されたがまたもや暴風雨に遭遇し、遠く南は海南島まで流される。揚州に戻り第6回目の渡航計画に取り掛かるもその前に栄叡は病死し、鑑真和上も失明する)そしてついに753年10月蘇州から帰国する遣唐使船の一船に乗り込み、阿児奈波島(沖縄本島)、多禰島(種子島)、益救島(屋久島)を経て、薩摩国阿多郡秋妻屋浦(鹿児島県坊津町字秋目に比定)に到着。和上一行は754年(天平勝宝6)大宰府に来着し、同年2月に奈良の都に入った。2月東大寺に請され、大仏殿前に戒壇をもうけ、754年4月聖武天皇以下四百余人に菩薩戒をさずけた。本朝受戒の最初である。さらに759年唐招提寺が完成してここに在留し、76歳で入滅した。