調査探求活動記

        『ひょうたん笛の"古調”を追い求めて』

                            伊藤 悟

 

                             ◆バックナンバー情報(第1章から)

           ■ 第 4 章

 

ひょうたん笛のエン先生の故郷は、雲南省の西、ビルマ国境に接した徳宏州のある片田舎にあった。
 大きな川の近くにある、竹林に囲まれた静かな村だった。建物は漢民族から影響を受けた四合院に似た造りで、西双版納のタイ族が住む高床式とは異なっていた。小乗仏教徒が多いが、寺には和尚はいないという。文化大革命のせいで経典だけでなく寺もすべて焼き払われたという。
 
  

写真: 寺

 

ひょうたん笛を吹く伝統。簡単に言うと、それは若者たちの恋愛に関係するものだった。タイヌア族の村には未婚の若者が組織する集団があって、年齢が145歳に達した男の子はこの集団に入り、この笛を習い始める。老人からだけでなく、友達同士、年上から、そして何より、周りで笛が吹かれていることが当たり前だったから、その環境の中で学習していった。


 
タイヌア族の伝統にこの笛が吹けない男の子は結婚する資格がないといわれていた。ひょうたん笛が吹けるようになると、ようやく社会的に認められて恋愛をする資格を得る。


 
男の子は一日の仕事を終えてから、夜、人々が寝床に入ろうとする時に、意中の女の子の家まで行き、家の裏口の前で、少女が戸を開けてくれるまでこの笛を永遠と吹き続ける。女の子は笛の音とメロディーに含まれた意味を解し、相手が誰なのかを識別したという。両親は笛の音を聴いて安心して眠りにつく。笛を吹けること、それは基本的な忍耐心を備えていることでもあるから、親はひとまず安心する。タイヌア族の人々はいう、「笛も吹けないのでは家族を養うことはできない。」


 
そして、男の子は結婚すると二度とこの笛を吹くことはないという。この笛は若者のもの、妻を得た男は吹く必要がないからだ。もし結婚後に吹くと周りからは精神病とか貧乏人と呼ばれたという。
 

 ある面、毛沢東が目指した目標は達成されたのかもしれない。多くの民間芸人たちは文化大革命時にビルマへと逃げたという。10年の革命の間、ひょうたん笛を吹く機会はほとんどなかったらしい。革命後、ビルマの混乱を逃れて戻ってきた民間芸人たちは持てる伝統を発揮できる機会がなかったという。ある伝統は川の流れのように受け継がれたが、ある伝統は主流から離れていった。


 
革命後、塞き止められていた川の水が勢いよく流れ出すように、ひょうたん笛を吹く伝統は一時的に復活した。しかし、その10年の間にそういった伝統が行われていないと、文革時代に育った子供たちはあまりその重要性を気にしなかったらしい。間もなくその伝統はなくなった。そして、物と記憶だけが残った。

 
徳宏州は西南シルクロードの中継地点として栄えた歴史もあったが、近年の現代化と漢民族文化の影響で、タイ族特有の伝統文化は、今、少しずつ失われようとしてる。

 

                    第5章に続く
                               

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