ラオスからの手紙              

       ラオス在住の村山明雄さんのお便り紹介

                             

  筆者紹介

 村山明雄さん

 (むらやま・あきお)

 

 

 シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。

   <連載開始時>

 

奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ


桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人


地下水開発エンジニア

(電気探査・地表踏査・揚水試験・電気検層・水質検査)
ラオス語通訳・翻訳

エッセイスト
経済コンサルタント

 

著作
「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版


翻訳
「おいしい水の探求」小島貞男著
「新水質の常識」小島貞男著

        

 バックナンバー

 

 第1信

  「シェンクアンからの

  ご挨拶」

 

 ・第2信

  「ラオス正月

    2002年4月」

 

 ・第3信

  「ポンサワンより

    2002年5月」

 

 ・第4信

  「挨拶にまつわる

     私の失敗談」

 

 ・第5信

  「ラオスから来た中国人」

 

 ・第6信

  「親戚ビエンチャンに

  大集合」他

 

 ・第7信

  「ラオスの習慣」他

 

 ・第8信

  「御免なさいについて」他

 

 ・第9信

  「ラオス華僑の中国正月」

    他

 

 ・第10信

  「シェンクアンのベトナム

  料理屋」 他

 

 ・第11信

  「シービット君の奥さん、

  いわく」「竜神ロケット」他

 

 ・第12信

  「自己申告 肉団子」

  「駄洒落」 他

 

 ・第13信

 

  ■ 第14信    「日本の吉田町のお話」、「娘のラオス語」    

   

                2005年1月13日 

                        

 皆さんお元気ですか?
日本ではお正月も終わって寒さが厳しくなっているころでしょうね。
久しぶりに「ラオスからの手紙」を皆様にさしあげます。

 さて今回は日本の吉田町のお話です。
 「吉田町ってどこですか?」

 きっと日本には吉田町と名前がつく町はいっぱいあるでしょうね。
 今回の「ラオスからの手紙」でとりあげる「吉田町」とは埼玉の吉田町、埼玉県秩父郡吉田町です。ここはラオスのロケット祭りに似ている「龍勢」という火薬ロケットを打ち上げるお祭りが毎年10月に行われるのです。

 実は「龍勢」についてですが、以前日本に定住しているラオス難民のある方より聞いたことがありました。もう20年も前のことですか。その時はまだラオスに行ったこともなく、ロケット祭りも見たことがないのでたいして気に留めてなかったのです。

 出稼ぎで日本にいる時間が長くなると、第二の故郷に残した妻子が懐かしくなります。そしてラオスのことも懐かしくなるのです。

 ある日、たまたま川崎の実家にあった埼玉秩父のハイキング・ガイドブックを見ていたらこの龍勢の記事が載っていました。それが埼玉県秩父郡吉田町。なんとラオスのロケット祭りと同じようなお祭りをやっているとのこと。

 小生が吉田町におもむいたのは2004年10月27日。残念なことに龍勢祭りは毎年10月10日椋神社の秋祭りの日です。つまり今年の龍勢は終わったばかり。

 東京の池袋から西武線特急(アロー号だったかな)に乗って1時間ほど、西武線の秩父から秩父鉄道に乗り換えて皆野駅へ。そこから吉田町まではバスですが、田舎のバスでなかなか来ません。もったいないけどタクシーに乗って吉田町まで行きました。

 吉田町には龍勢会館という龍勢の博物館があります。そこには龍勢の模型や実際に打ち上げているお祭りのビデオもあります。懐かしいですね。ここのロケットはパラシュートなどがついていてラオスのものと少し違います。28くらいの流派があるそうです。東北タイヤソトーン県のロケットの模型も展示されていました。

 ラオスの展示物はないかと探したら、Tシャツがありました。ビエンチャンのロケット祭りの時にどこかのスポンサーが作ったと思われるTシャツが一枚だけ展示されていました。ないよりはましですが少し寂しくなりましたね。

 埼玉以外にも静岡とか滋賀の彦根の方でもロケット祭りがあるようです。ラオスやタ
イの
ロケット祭りとどう関係あるのか、研究したら面白いでしょうね。ちなみにシェンク
アンに私は2年いましたが、ロケット祭りはなかったと思います。

ということで、日本に帰ってラオスのことが恋しくなった皆さん。吉田町の龍勢を見にいきませんか。日本にいてラオスのロケットが見られるなんて。日本とラオスの文化も本当にどこかでつながっているのでしょうね。今年の10月、もし時間があれば是非、行ってみたいですね。

 


            お話その2 「娘のラオス語」
 
 桜(9歳)「パパー、ユー・ボー?」
 蘭(6歳)「マン・ボー・ユー」
 淑珍 聞いてビックリ

 上に紹介したのは我が家の娘2人のラオス語会話である。
 桜ちゃんが蘭ちゃんに「お父さんいる?」と質問した。
 普通は「パパ・ボー・ユー」と言って「お父さんは、いない」という意味になる。 

 (単語の説明)
 パパ「お父さん、これは中国語、華僑の家で「お父さん」はだいたいパパになる」 ボー「否定型」 ユー「居る」

 しかし蘭ちゃんが言った「マン・ボー・ユー」のマンは「これ、あれ、英語でit」と
いう意味で「動物や嫌な奴」という感じで使う。したがってお母さんがビックリした
のだ。

 他にも家族でバトミントンをしていて「お父さんとバトミントンする」はラオス語で
「ティー・カップ・パパ」であるが、蘭ちゃんは間違えて「ティー・パパ」と言ったり
して、この子のラオス語は笑わせる。カップは日本語の助詞(と)にあたる、した
がって「お父さんとバトミントンする」という意味ではカップをいれないといけな
い。いれないで「ティー・パパ」と言うと「お父さんを叩く」という意味になる。
「ティー」は「叩く」という意味であるがテニスやバトミントンをする場合は、ラオ
ス語でこの動詞を使うのである。「お父さんとバトミントンする」のが「お父さんを叩く」ではパパのほうもたまったものではない。

 このようにラオスの子供も間違えたり失敗しながらラオス語を覚えていくのである。というわけで、大人になって覚えた日本人のラオス語もいっぱい間違いがあるのだろう。

 それでは皆さん
 お元気で。

 ラオスより愛をこめて
 桜ちゃんのパパでした。

                      
         (C)村山明雄 2002- All rights reserved.