論考 アジア各地のナーガの”色と形”    文・写真: 岡崎信雄

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                   ミャンマー パガン遺跡のマカラとナーガ(龍)の”色と形”


 

       ミャンマー パガン遺跡のマカラとナーガ(龍)の”色と形”

                 "The Color and Form" of Makara and Naga(Dragon) of Bagan Relics in Myanmara

                              岡崎信雄 Nobuo Okazaki

 

 

 

   
 
                                                                              

これまでに、中国・雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の色と形ラオス タイ・ラーオ族のナーガ(龍)の“色と形”, 北タイ タイ・ユアン族のナーガ(龍)の色と形を紹介しました。今回は、ミャンマー パガン遺跡の仏教寺院に見るマカラ、ナーガ(蛇体龍)、トウナヤー(四足の蛇体龍)など、仏陀守護の俗神の色と形(造形)を紹介したいと思います。

多民族国家ミャンマーは、ビルマ族、シャン(タイ)族、モン族、・・・・等多くの少数民族より構成されていますが、人口の約80%を占めるビルマ族は、イラワジ河流域の、ビルマ中央部および下流デルタ地帯の平野部に居住し、敬虔な上座部佛教徒です。このビルマ族の文化圏にあるヤンゴン、パガン、マンダレーの仏教寺院を訪れ、マカラ、ナーガ、トウナヤーなどの造形を調査しました。一方、人口の20%を占めるシャン(タイ・ヤイ)族はビルマ東北部のシャン高原および西部にその多くが居住し、タイ・ルー、タイ・ラーオ、タイ・ユアン族と民族的、文化的に近縁関係にあるとされていますが、民族の紛争地帯として外国人の立ち入りは困難なため、シャン族のマカラとナーガは今回の紹介には含まれていません。ミャンマーと国境を接する北タイのメーホンソンは、シャン(タイ・ヤイ)族とタイ・ユアン族との文化交流の接点ではないかと考えており、近い将来、一度訪問してみたいと考えています。     
                  

                                                           

1. はじめに

1999年11月、ミャンマーのヤンゴン、パガン、マンダレーを訪れ、仏陀守護のナーガ(龍)の造形(色と形)を調査したが、これまでに紹介した中国雲南のシーサンパンナ、ラオス、北タイのタイ族文化圏に共通する仏陀守護のマカラやナーガの造形とは一味違った造形文化を鑑賞することが出来た。ミャンマーにおける、仏陀守護の主役である獅子(Chinte)やマカラ(magan)、どちらかと言えば脇役のナーガ(nagar)、トウナヤー(Toeyanar)などの造形を紹介したい。

 ミャンマーのビルマ族は、10世紀頃、中国雲南にあった南詔国方面から南下、中部ビルマへの勢力を拡大したとされ、ビルマ中央平原を貫流するイラワジ河中流域に、初代王、アノーヤター(1044~1077年)がパガン王朝を開いた。この時期、インド文化のパガン地域との交流を考える上で、ミャンマーと境を接する東北インドの状況が、どのようであったかは重要であろう。ガンジス河流域のヒンドスタン平原とその河口域のベンガル地域(現バングラデシュ)はインドのパーラ朝(8-12世紀)が支配しており、この王朝下、佛教を保護し、衰退期にあったインド仏教は最後の華を開いたといわれている。インド東北部、ビハール州にあった、佛教教学の2大組織、ナーランダ僧院と、その東方180キロの地にあったタントラ派密教の総本山ヴィクラマシラー僧院は、当時においてもインド仏教の中心であり、またベンガル地方、マガダ地方(西ベンガル、ビハール地域)の住民は、インド密教を信奉していたと言われている。これら二大僧院には、チベット、ネパール、東南アジア諸国から多くの僧が訪れ、インド密教と同時に、パーラ様式と呼ばれる優雅で精緻な密教美術も自国に伝えた。パガンのタントラ派密教や密教美術にも大きな影響を与えたであろう。一方、パガン王朝、初代王、アノーヤター(1044~1077年)は、ビルマ族によるビルマ全域への覇権の確立を目指し、11世紀の中頃、下ビルマ地域のモン族の勢力圏を攻略した。当時上座部佛教の中心地であったモン族の中心都市、タートンを征服、仏僧をパガンに移し、スリランカ佛教と関係の深い上座部佛教を導入した。これにより、パガンに於ける既存の佛教勢力、タントラ派密教の弱体化を謀り、政教両面からの覇権を確立するとともに、大規模な佛教寺院群の建立に着手した。中央平原での大規模な灌漑工事による安定的な稲作生産は、パガン王朝の経済的基盤を支え、歴代のパガン王や貴族は競って佛教寺院を建立し、一大寺院都市が出現した。

一方、北インドの佛教勢力は、8世紀に始まるイスラム勢力の北インドへの侵入によって、12世紀末までには完全に衰退し、最終的に滅ぼされるが、ビルマにおいては、12世紀末、インド文化とビルマ文化が融合し、上座部佛教を基盤とする、いわゆるビルマ風文化が顕著になったとされる。これは、インドのイスラム化によるインド仏教の直接的な影響力が途絶したこととも関係しているのではないかと筆者は考えている。1203年、インド仏教の最後の砦であった東インドのヴィクラマシー僧院が、イスラム勢力に破壊され、またかって玄奘三蔵が学んだと言われる、仏教教学の中心地であったナーランダ僧院もこの時期、徹底的に破壊されている。殺戮をまぬかれた仏僧たちはチベットや東南アジアに難を避けたと言われているが、その一部は陸路、上ビルマのパガンにも移り住んだであろう。現在、インドにおいてパーラ様式の壁画を見ることはないが、パガンの寺院において、かろうじてパーラ様式の壁画を鑑賞することが出来る。

11世紀から13世紀にかけて、ビルマ族の独自文化形成への過程を概観したが、アーナンダ寺院や、シュエジゴン仏塔など、パガンの仏教遺跡に見る仏陀守護の造形文化、寺院の建築様式は、現代の寺院にもその多くが受け継がれており、現代ミャンマーにおける文化的なルーツと考えられる。まずパガン遺跡の造形を取り上げてみたい。



2..パガンの仏教遺跡に見るナーガ、マカラと獅子


              1 パガン遺跡の遠望 (ピラミッド状の寺院はダーマヤンジー寺院)

アンコールワット(カンボジア)、 ボロブドゥール(インドネシア)と並び、 世界三大仏教遺跡のひとつに数えられる巨大寺院都市パガンには、11世紀から13世紀に建立された、往時の面影を漂わせる2000を超える大小さまざまの寺院や仏塔が点在しており、現在も仏陀信仰の聖地として、多くの仏教徒が参詣に訪れている。パガン遺跡調査の道中、裸足の尼僧の一団が足早に巡礼しているのに出会ったが、スリランカからの巡礼者とのことで、12世紀、パガン王朝のアノーヤター王がスリランカから上座部佛教を導入した名残が、今なお継承されているように思われた。オールドパガン(OLD BAGAN)、ニャウンウ(NYAUNG-U)、ミンガバー(MYINKABA)、ミンナンドゥー(MINNANTHU)や、これら周辺地域の仏塔、寺院を3日間にわたり調査した。仏陀守護の神々の造形や、壁画など限られた内容であったが、筆者が観察した内容を紹介したい。


2.1 パーラ様式の壁画に見るマカラとナーガ

 アベヤダナ(Abeyadana)寺院

アベヤダナ(Abeyadana)寺院はミンカガバー地区にあり、1102-1103年にチャンシィッター王(1084-1113年)により建立された。王妃が大乗仏教を信奉者するベンガル人で、院内の壁面には密教のフレスコ画が描かれている。寺院内の回廊の入口、回廊の側面に設けられた仏龕は、マカラの壁画により守護される。(下図のフレスコ画は管理人の許可を得て筆者が撮影した。)

図2 マカラのフレスコ画 図3 マカラのフレスコ画 図4 マカラのフレスコ画 図5 マカラのフレスコ画
図6 マカラのフレスコ画 図7 マカラのフレスコ画 図8 信女

     


パヤートンズ(Payathonzu)寺院

ミンナンドゥー地区にあり、建立は13世紀の後半、モンゴルのパガンへの侵攻時期にあたり、寺院の建築は完成を見ることがなかったとされる。寺院内部の壁画はアベヤダナ寺院壁画の約150年後に制作されており、より精緻に描かれた密教画である。壁画自体は剥落が激しく、図910は筆者が寺院の入口で購入した模写画である。ナーガとキンナラが画かれている。図11,12、13は仏陀像(図14)が安置された祠堂の側壁および天井に画かれた千仏画である。

図9 壁画の模写 図10 模写の拡大 図11 千仏壁画 図12 天井画
図13 天井画の拡大 図14 仏陀像



            タンブーラ(Thambula)寺院

パヤートンズ寺院の北に位置し、オウサナー王(1250-1255年)の王妃、タンブーラにより、1255年に建立された。内部を拝観することは出来なかったが、下図は精緻に描かれた密教壁画の模写である。官能的で、神秘性の色濃い密教は、女性信者に人気があったのであろうか、パヤートンズ、タンブーラ寺院ともに、王妃の寄進であることは興味深い。建立年代は異なるが、アベヤダナ寺院も王妃の寄進である。図15,16は仏龕入口に画かれたマカラとナーガである。

図15 壁画の模写 図16 模写の拡大



        2.2 寺院、仏塔を守護するマカラと獅子


                 アーナンダ(Ananda)寺院

オールドパガンを取り囲む城壁の外、東側に位置している。チャンシィッター王(1084-1113年)の建立とされ、北インドの建築様式を取り入れた、パガンに於ける最初の大規模寺院である。Tabetkya仏塔の背後、金色に輝く塔(シカラ)がアーナンダ寺院である(図17)。寺院はマカラと獅子の棟飾りで守護されている(図18,1920,21)。図22は火炎状の突起とマカラの造形より構成された、寺院入口を守護するアーチ状の装飾、図23,24,25は寺院守護の獅子の造形である。

図17 アーナンダ寺院(背後) 図18 金色に輝くシカラ 図19 マカラと獅子の棟飾り 図20 マカラと獅子の棟飾り
図21 マカラと獅子の棟飾り 図22 アーチ状の装飾 図23 寺院守護の獅子 図24 寺院守護の獅子
図25寺院守護の獅子

       

 

      シュエジィーグォン(shwezigon)仏塔

アノーヤター王により建立が始まり、チャンシィッター王により1086-1090年の間に完成した。現在も多くの信奉者が訪れており、活発な宗教活動を行っている。仏塔の形状は、ベル状で、正方形の基壇の上に建立されている。基壇は三層のテラスより構成され、正方形の基壇の中央には階段が設けられているが、この階段の左右にはマカラの造形が配され、守護している。シュエジィーゴン仏塔の建築構造は、パガン王朝以後に建立された多くの仏塔に踏襲されており、マンダレーのLan Ler 仏塔はその一例である(次回紹介したい)。

図26 シュエジィーグォン仏塔 図27 仏塔守護の獅子



                    マヌハ寺院


          タートンにおいてモン族の王であったマヌハは、ビルマ族のアノーヤター王との戦いに
          敗れ、囚われの身となりパガンへと移された。アノーヤター王の許しを得て、ミンガバ
          ー地区に1059年建立した。この寺院は囚われのみを嘆きをあらわしているとされる。
          図28のトナヤ‐は、寺院境内にたてられた、休息所内部に配されている。

              ミノチャンタ(Minochanta)仏塔

          チャンシッター(kyanzittha)王による建立。アーナンダ寺院から約400メート北に位置
          する。小高い丘の上にあり、バガン遺跡を見渡すことが出来る。仏塔は獅子により守
          護されている


図28 トナヤー 図29 仏塔守護の獅子



              ティーロミンロー(Htilominlo)寺院

 オールド・パガン地区にあり、1218年、ナンダウンミャー (Nadaungmya) 王による建
 立。寺院外壁には漆喰製の塑像が施されている。咆哮する獅子像(kirutimukha)が
 寺院を守護しているのであろう(図30,31,32)。


図30 咆哮する獅子 図31咆哮する獅子 図32咆哮する獅子



2.3 寺院入口上部、階段、仏陀の背後を守護するマカラの表象


  ゴードーパリン(Gawdawpalin)寺院

オールド・パガン城壁内のほぼ中心に位置し、白色に輝くゴードーパリン寺院は、パガンの寺院の中で最も洗練された気品ある姿の寺院といわれている。建立はナラパティスィードゥー王(1174-1211)の治世に始まり、ナンダウンミャー王(1211-1234)の治世に完成した。パガンにおける二番目の高層、大寺院である。寺院の主要部は、基壇の部分から3段のテラスの上にあり、この神殿の主要部の上部とシカラ(sikhara)との間にも3段のテラスが有る。北、西、南の入口には全面が突き出ており、三重の寺門が備わっている。正面入口の両側には装飾用の付け柱が配置され、左右の付け柱の柱頭には、五葉の火炎状装飾を施したアーチが渡され、マカラの表象と結合したパガンに於ける重要な装飾造形の役割を果たしている。多くのアーチの両端部には具象的なマカラの造形を見ることはないが、マカラの造形が抽象化され、より装飾的な造形へと変質したのではないかと考えられる。

図33 ゴードーパリン寺院の全景 図34 寺院の前景 図35 入口上部のアーチ状装飾

   

                 ダーマヤンジー(Dhammayangyi)寺院

         寺院全体がピラミッド状に見える、パガンに於ける最も重量感のある巨大な寺院。オー
         ルド・パガン地区にあり、ナラトゥー王により3年間(1167-1170年)をかけ建立された
         。寺院の入口上部にはゴードーパリン寺院と同様、装飾用のアーチがかけられ、火炎状
         の突起と、両端のマカラの表象とが一体化した造形である

図36 ダーマヤンジー寺院 図37 寺院入口の装飾 図38寺院入口の装飾

        

                  ダマヤッズィカ(Dhammayazika)仏塔

        West Pwasaw地区にあり、ナラパティスィードゥー王(1174-1211年)により、
          1196年に建立された。

図39ダマヤッズィカ仏塔正面入口で、入口上部にはの火炎状の突起と、両端の
マカラの表象とが一体化した装飾用のアーチがかけられている。図40は仏陀像の
背後を守護する抽象化したマカラの造形である。

図39 ダマヤッズィカ寺院 図40 仏陀像


       

      レイメトゥナ(Leimyethna)僧院

         Anandathura大臣により1223年に建立された。ミンナンドゥー地区にある。図41の僧院
          への階段の左右はマカラの造形により守護されている。図42の仏陀像の背後もマカラ
          の造形により守護されている。

図41 レイメトゥナ寺院 図42 仏陀像


2.4 仏陀像を守護するナーガ(龍)

ナガーヨン(Nagayon)寺院

         ミンガバー地区にあり、チャンシッター(kyanzittha)王によって建立された。王の後継
          者、ソウルー(sawlu min)王から逃れるときナーガが守ってくれたとの由来にちなん
          でいるとされる。寺院内部には仏陀の立像が安置され、その背後をナーガが守護し
          ている。
44は中央上部にナーガ王(竜王)の頭部、下部はうろこ状の蛇体、左右
          には挟持の小ナーガが控えている。


図43ナガーヨン寺院 図44 仏陀を守護するナーガ王



                   スラマニ(Sulamani)寺院

           1183年ナラパティシィードゥー王により建立。寺院内の回廊には壁画が描かれている
         が、後世のコンバウン時代(1752年~1886年)初期の作品とされ、図46は仏陀を守護
         するナーガのフレスコ画である。撮影にフラッシュの使用は禁止とのことで、日陰の部分
         が表現されていないが、中心上部にナーガ王(竜王)、左右には挟持の小ナーガが控え
         、仏陀坐像を守護している。竜王の背景は、菩提樹である。図50は不鮮明であるが、図
         46と同様のナーガ王が仏陀を守護する壁画である。



図45 スラマニ寺院 図46 仏陀を守護するナーガ 図47 図46の模写 図48 ナーガ王の模写
49 挟持の小ナーガ 図50  仏陀守護のナーガ


  

 

   3.ポッパ山

         パガンから南へ約50Km、精霊信仰の聖地、火山性隆起のポッパ山山頂にはナッ神の
         祠堂がある。図51はポッパ山の全景、図51はポッパ山への参道入口の獅子、図53は
         祠堂の入口を守護するのがトウナヤーである


図51ポッパ山 図52 参道入口の獅子 図53祠堂入口のトナヤ- 図54ナッ神

           

 
            4. まとめ

  ビルマ中央平原を貫流するイラワジ河中流域に、ビルマ族の初代王、アノーヤター(1044~1077年)がパガン王朝を開いたが、当時、ビルマと境を接する東北インドはパーラ朝(8-12世紀)が支配しており、インド密教の中心地でもあった。インドのタントラ派密教の総本山ヴィクラマシラー僧院のパガン王朝への影響を排除するため、アノーヤター王は上座部佛教の導入によりタントラ派の駆逐を図ったが、インド密教の造形文化は継承されたようである。今回の紹介はパガン遺跡のみとなったが、次回、パガンの造形文化とは一味違った、ヤンゴン、マンダレーの寺院や仏塔にみるナーガ、マカラ、トウナヤーの造形を紹介したい。



         参考資料

1. PAGAN Art and Architecture of Old Burma, P.Strachan, Kiscadale Publications(1996)

2. 謎の仏教王国パガン、大野 徹、日本放送出版協会(2002

3. 世界の歴史3 古代インドの文明と社会, 山崎元一, 中央公論社 (1997)

4. The Art and Culture of Burma ,R. cooler

(http://www.seasite.niu.edu/burmese/cooler/BurmaArt_TOC.htm)

5. Ancient Bagan

(http://www.ancientbagan.com/index.htm)


筆者がミャンマーを訪れたのは1999年11月、すでに7年が経過していますが、軍事政権下の政治状況に大きな変化はないようです。国連の経済制裁はミャンマーの経済発展にとっての足かせとなり、東南アジアの国々の中にあって経済発展の遅れは際立っているようです。ヤンゴンでは華人系資本のホテルに5泊しましたが、コンシェルジェの男性が嘆いていました。かってラングーンの空港には、欧米系航空会社の旅客機が寄航し、東南アジアの中心的存在であったのに、軍事政権の出現でタイにお株を奪われてしまった。ヤンゴンのビジネスは火が消えたよう、インドや中国から物資が入ってくるマンダレーの方がまだましかも。マンダレー大学の法科出身のローウィヤーだが職がないので、ホテルのドアボーイもどきをやっている、とのコンシェルジェ氏のぼやきでした。

      


                        ラングーンのターミナルビル(1966年撮影)

1966年(昭41年)BOAC(British Oversea Airway Corporation)機でラングー空港に寄港したことがあります。東京、香港、ラングーン、ボンベイ、カラチに寄航しましたが、図55は当時撮影したラングーン空港ターミナルビルの写真です。1999年のターミナルビルの外観は昔のまま、との印象でした。シンガポール、バンコク、クアラルンプールなどとは、ずいぶんと差がついたな、というのが実感です。政治と経済は不可分のようです。