日本万国博覧会とカンボジア3・18クーデター
ベトナム戦争やラオス内戦が続いていた1970年(昭和45年)、高度経済成長を続けていた日本は、アジアで初めての日本万国博を大阪で開催した。1970年3月14日(土)、大阪府下・千里丘陵にある万博会場内のお祭り広場で、天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻を迎えて、77ヶ国を集めて開会式が行われ、翌3月15日(日)から一般公開となり、1970年9月13日(日)までの183日間、開催され、会期中6421万8770人の入場者を集めた。
この日本万国博覧会に、メコン圏諸国としては、タイ王国、ラオス王国、ビルマ連邦、ベトナム共和国(南ベトナム)、カンボジア王国(この順は出展申込順)としてそれぞれ外国展示館を出して参加した。
日本万国博覧会の会期がスタートした日からわずか3日後の、1970年3月18日、シアヌーク殿下が北京に外遊中、カンボジアでは、カンボジア国民議会、王国議会の合同会議がシアヌーク国家元首を解任し、元首代行にチェン・ヘン国民議会議長を選出、実権をロン・ノル首相兼国防相とシリク・マタク副首相が握るという政変クーデターが起こった。
カンボジア政変から一夜あけた3月19日朝、日本万国博会場のカンボジア館は、予定通り午前11時半に日本の皇太子ご夫妻をお迎えするため、同10時すぎ、ポク・チュン駐日大使夫妻も姿を見せた。館員は午前10時から開館し一般客を入れるといっていたが、結局シャッターがあいたのは、午前11時15分頃で、そのまま一般客を入れずに皇太子ご夫妻を迎えた。午前11時48分、皇太子ご夫妻がお見えになり、ポク・チュン駐日大使夫妻が合掌してお迎えし、同大使の令嬢が美智子妃殿下に花束を贈った。ポク・チュン駐日大使は「本国から公電は受け取っていない。何のニュースも受けていない。政変についてはノーコメントだ。カンボジア館に来たのは、日本の皇太子ご夫妻をお迎えするためだ」とだけ語った。(尚、同大使は、1970年3月30日、東京・赤坂のカンボジア大使館で記者会見を行い、今回のカンボジア政変の推移を説明している)
万国博会場のカンボジア館では、3月18日の政変にもかかわらず、3月19日の皇太子ご夫妻をお迎えした時やその後も、前元首シアヌーク殿下の写真を掲げていたが、3月24日朝の開館から同殿下の肖像写真を撤去した。カンボジア館では、入口正面にシアヌーク殿下、コソマク皇太后の肖像写真と、その下に「サンクムの運動、主唱者カンボジア元首、ノロドム・シアヌーク殿下」と和英両文で書かれたパネルが、また入口の左側には、シアヌーク殿下と、モニク妃が散歩しているポーズ写真が、掲げてあった。しかし、3月24日朝には、コソマク皇太后の写真は、そのままだったが、シアヌーク殿下、モニク妃の写真、パネルが撤去された。3月24日朝、同館が開館した時、政府代表らは姿を見せず、会場にいた技術者たちは、「シアヌーク殿下の肖像写真などの撤去は3月23日夜、上からの命令で申し渡された。その他のことを話すのは許されていないと」と語った。
シアヌーク殿下は、政変直後、日本への亡命も噂されていたが、19703月21日、日本亡命説を否定した。シアヌーク殿下は国家元首として日本政府の招待での政府賓客として当初来日する予定になっていたが、結局日本万国博覧会に姿を見せる事はできなかった。(1970年9月12日、日本外務省が発表したところによると、万博開催期間中、日本政府の招待に応じて来日した政府賓客は夫人を含め70ヶ国114人で、うち元首は8ヶ国から、元首に順ずるもの及び首相は16ヶ国から、皇族は7ヶ国から参加。来日予定の元首級で来日しなかったのは、カンボジアのシアヌーク殿下、ソ連のボドゴルタイ最高幹部会議長、キプロスのマカリオス大統領)
尚、参加国の文化、生活習慣などの相互理解を深め、国際親善の増進に寄与する事を目的として、会期中に各国に指定された日が、ナショナル・デーで、このナショナル・デーに万国博に参加した国の元首夫妻またはその代理が、日本万国博政府代表及び日本万国博協会会長の連名で賓客として招待されている。カンボジアのナショナル・デーは、8月17日に指定されていたが、日本の新聞では1970年7月10日、外務省から万国博協会に入った連絡によるとカンボジアは「国内事情のため」8月17日に予定していた万国博のナショナルデーを中止したと、一旦は報じたりした。最終的には、カンボジアのナショナル・デーは、8月17日午前10時~12時、プロム・トス工業相出席の下に式典が行なわれ、催しとしてカンボジア国立舞踊団の民族舞踊が披露された。このカンボジア国立舞踊団(現在はカンボジア王立舞踊団)は、今年(2002年)、5月から6月にかけて、この大阪万博以来、32年ぶりに来日し、全国講演を行なっている。
万博記念公園(2002年7月)

主たる参考引用文献:
1970年3月~9月の朝日新聞、毎日新聞
|