メコン圏と日本(地域・人)との繋がりを辿る 第12回

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日本万国博覧会

 

・種類

国際博覧会条約にもとづ

く第1種一般博覧会

 

・開催年

 1970年(昭和45年)

 

会期

  3月15日(日)~

     9月13日(日)

 183日間

 

・会場

  大阪府下千里丘陵

 

・広さ

約330万平方メートル

 

・運営団体

 財団法人

 日本万国博覧会協会

 

 

 
万博会場内位置

 

タイ館

独立館として、会場中央部。中央のお祭り広場からそう離れていない。西隣りはエチオ  ピア館。南隣は、インターナショナルプレース1A

 
ビルマ館

独立館として、会場西部の真中あたり。古河パビリオン、スカンジナビア館と3館が、接している。東隣りはワコールリッカーミシン館。西隣りは電力館

 

ラオス館

▼カンボジア館

国際共同館(インターナ

ショナルプレース3)内。

会場の西北部で、北隣り

はセイロン館、東隣りはギリシア館。

インターナショナルプレース3内:
 ・ラオス館

 ・アフガニスタン館

 ・カンボジア館

 ・ネパール館

 
ベトナム共和国館

国際共同館(インターナ

ショナルプレース4)内。

会場の中央北部で、東隣りはインド館。

インターナショナル

   プレース4内:

 ・ベトナム共和国館

 ・アイルランド館

 ・アラブ連合館

 

 

ナショナル・デー

 

・1970年4月17日(金)

   ビルマの日

 

・1970年8月10日(月)

   ラオスの日

 

・1970年8月12日(水)

   タイの日

 

・1970年8月17日(月)

   カンボジアの日


    

        日本万国博覧会とカンボジア3・18クーデター

 

 

  ベトナム戦争やラオス内戦が続いていた1970年(昭和45年)、高度経済成長を続けていた日本は、アジアで初めての日本万国博を大阪で開催した。1970年3月14日(土)、大阪府下・千里丘陵にある万博会場内のお祭り広場で、天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻を迎えて、77ヶ国を集めて開会式が行われ、翌3月15日(日)から一般公開となり、1970年9月13日(日)までの183日間、開催され、会期中6421万8770人の入場者を集めた。

 

  この日本万国博覧会に、メコン圏諸国としては、タイ王国、ラオス王国、ビルマ連邦、ベトナム共和国(南ベトナム)、カンボジア王国(この順は出展申込順)としてそれぞれ外国展示館を出して参加した。

 

 日本万国博覧会の会期がスタートした日からわずか3日後の、1970年3月18日、シアヌーク殿下が北京に外遊中、カンボジアでは、カンボジア国民議会、王国議会の合同会議がシアヌーク国家元首を解任し、元首代行にチェン・ヘン国民議会議長を選出、実権をロン・ノル首相兼国防相とシリク・マタク副首相が握るという政変クーデターが起こった。

 

  カンボジア政変から一夜あけた3月19日朝、日本万国博会場のカンボジア館は、予定通り午前11時半に日本の皇太子ご夫妻をお迎えするため、同10時すぎ、ポク・チュン駐日大使夫妻も姿を見せた。館員は午前10時から開館し一般客を入れるといっていたが、結局シャッターがあいたのは、午前11時15分頃で、そのまま一般客を入れずに皇太子ご夫妻を迎えた。午前11時48分、皇太子ご夫妻がお見えになり、ポク・チュン駐日大使夫妻が合掌してお迎えし、同大使の令嬢が美智子妃殿下に花束を贈った。ポク・チュン駐日大使は「本国から公電は受け取っていない。何のニュースも受けていない。政変についてはノーコメントだ。カンボジア館に来たのは、日本の皇太子ご夫妻をお迎えするためだ」とだけ語った。(尚、同大使は、1970年3月30日、東京・赤坂のカンボジア大使館で記者会見を行い、今回のカンボジア政変の推移を説明している)

 

  万国博会場のカンボジア館では、3月18日の政変にもかかわらず、3月19日の皇太子ご夫妻をお迎えした時やその後も、前元首シアヌーク殿下の写真を掲げていたが、3月24日朝の開館から同殿下の肖像写真を撤去した。カンボジア館では、入口正面にシアヌーク殿下、コソマク皇太后の肖像写真と、その下に「サンクムの運動、主唱者カンボジア元首、ノロドム・シアヌーク殿下」と和英両文で書かれたパネルが、また入口の左側には、シアヌーク殿下と、モニク妃が散歩しているポーズ写真が、掲げてあった。しかし、3月24日朝には、コソマク皇太后の写真は、そのままだったが、シアヌーク殿下、モニク妃の写真、パネルが撤去された。3月24日朝、同館が開館した時、政府代表らは姿を見せず、会場にいた技術者たちは、「シアヌーク殿下の肖像写真などの撤去は3月23日夜、上からの命令で申し渡された。その他のことを話すのは許されていないと」と語った。

 

  シアヌーク殿下は、政変直後、日本への亡命も噂されていたが、19703月21日、日本亡命説を否定した。シアヌーク殿下は国家元首として日本政府の招待での政府賓客として当初来日する予定になっていたが、結局日本万国博覧会に姿を見せる事はできなかった。(1970年9月12日、日本外務省が発表したところによると、万博開催期間中、日本政府の招待に応じて来日した政府賓客は夫人を含め70ヶ国114人で、うち元首は8ヶ国から、元首に順ずるもの及び首相は16ヶ国から、皇族は7ヶ国から参加。来日予定の元首級で来日しなかったのは、カンボジアのシアヌーク殿下、ソ連のボドゴルタイ最高幹部会議長、キプロスのマカリオス大統領)

 

 尚、参加国の文化、生活習慣などの相互理解を深め、国際親善の増進に寄与する事を目的として、会期中に各国に指定された日が、ナショナル・デーで、このナショナル・デーに万国博に参加した国の元首夫妻またはその代理が、日本万国博政府代表及び日本万国博協会会長の連名で賓客として招待されている。カンボジアのナショナル・デーは、8月17日に指定されていたが、日本の新聞では1970年7月10日、外務省から万国博協会に入った連絡によるとカンボジアは「国内事情のため」8月17日に予定していた万国博のナショナルデーを中止したと、一旦は報じたりした。最終的には、カンボジアのナショナル・デーは、8月17日午前10時~12時、プロム・トス工業相出席の下に式典が行なわれ、催しとしてカンボジア国立舞踊団の民族舞踊が披露された。このカンボジア国立舞踊団(現在はカンボジア王立舞踊団)は、今年(2002年)、5月から6月にかけて、この大阪万博以来、32年ぶりに来日し、全国講演を行なっている。

 

      万博記念公園(2002年7月)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  




主たる参考引用文献:

      1970年3月~9月の朝日新聞、毎日新聞 

『日本万国博覧会公式ガイド』

発行:

財団法人 日本万国博覧会協会


万国博覧会公式ガイド」に掲載された

         メコン圏諸国の外国展示館紹介

■ タイ王国     【81頁に掲載】

  

  タイ館は会場中央にある池に近く、2,000平方メートルの敷地に建つ展示館は金色の輝く塔を持ったタイ独特の寺院様式で、3つの建物からできています。

  タイの首都バンコクには約2万の寺院があり、とくにワット・プラ・ケーオ(王仏寺)やワット・プラ・チェートボンなどの寺院は建築学的にも精巧をきわめ、うつくしいことで有名ですが、タイ館はその再現といえます。

  展示テーマは 『平和的協力と調和のなかのタイの進歩』です。タイ館がうつくしい寺院をかたどったのも、全世界に平和と友情を、との願いをこめたからなのです。

  3つの建物のうち、中央の展示館は『プラング』という塔のついた建物で、その両横に高さ18.6メートルという背の高い建物が並んでいます。3層の屋根で、切妻にはチーク材が使われ、彫刻のうつくしさが目を奪います。

  塔はチーク材に彫刻をほどこしたもので、金色のガラスモザイクで飾られています。この塔はバンコクで作られ、それを分解して日本に運ばれ、会場で組み立てられたものです。池を通してお祭り広場から見たタイ館のながめはすばらしいものです。

  展示は、テーマにつれて、タイの文化、歴史をはじめ、この国の経済・社会の発展などを、多くの資料で説明しながら展開します。なかでも、タイ国立美術館から出展された国宝や重要文化財の美術品のかずかずは、この国独特の芸術の世界へ、みなさんをひき込むはずです。

  また近代産業の成果を示す展示品も多く、その中には有名なタイの絹や、うつくしい宝石・銅や銀製品・米・ゴム・トウモロコシ・タピオカ・鉱産物・木材など、豊富なタイの特産品も展示されています。

  また旅行案内所や、タイの特産品を売る売店も設けてあります。

■ ラオス王国     【95頁に掲載】

  

  農業と手工業の国ラオスは、その地理上の条件から長い間 "孤立した国”でした。しかしいまは、国民の利益を追求し、そのための近代工業化は着々と効果をおさめつつあります。

  だが、みなさんにその成果を見せるには、まだ時期が早すぎるので、ラオスはおもにラオスの文化と住民の豊かな心を展示することにしました。

  ラオス館のテーマは 『家族・宗教生活・文化および経済発展』です。このために、ラオスを象徴する文化とラオス人の精神生活、ラオス人の器用さなどがラオス館にあらわされています。

  ラオス館はラオスの伝統建築の典型的存在であるバットシサケット宗教文庫をそのまま模したものです。屋根・柱頭・軒回り・腰板等の装飾品は念入りにつくられました。その優美な形は19世紀ラオス建築の完全な再現です。

  もともとこのバットシサケット宗教文庫は1818年にアヌボン王時代に建てられたもので、王宮の一部でもあります。

  二重戸にラヌヤナの情景を再現したみごとな彫刻、建物の周囲を取りまく幅2メートルの回廊、黄金色に輝く四重屋根の彫刻と仏塔ーー展示館はそれ自体が芸術品です。これらの装飾はいずれもビエンチャン美術学校の人々の作品です。

  ラオスの象徴は国土の真中を流れるメコン川です。ラオス近代化はこのメコン川開発にかかっています。1973年の完成をめざすナム・グム・ダムは、設計も建設管理も日本の人々の手によって急ピッチに進められています。

  ラオスと日本とは、このように密接に結びついています。ラオスの人々の温和でつつましい暮しを、このラオス館からうかがえるでしょう。ラオス館はインターナショナル・プレース3にあります。

■ ビルマ連邦     【96頁に掲載】

  

  かおり高いビルマの文化遺産は、いまもこの国のなかでいきいきと生きています。ビルマ館のテーマ 『文化遺産と近代化への歩み』には、文化遺産を過去のものにしないビルマと、ビルマの人たちの姿勢が結集して表現され 『人類の進歩と調和』を訴えます。

  そして、そのテーマは 『竜王船』の形をした展示館にも集約されています。 『竜王船』はむかし、ビルマの王族が、舟遊びや物資の輸送に使った豪華な船で、船首に双頭の竜の彫刻をきざんだ双銅船の上に、七層の塔のついた伝統建築の展示館がそびえ、まわりを池でかこまれているため、まるで水に浮んでいるようです。

  また塔や屋根、はめ板など、あらゆるところに華麗な彫刻がほどこされ、ビルマ特産材のよせ木床や、チーク材の壁などとともに、展示館それ自体がすばらしい文化遺産を生かした芸術作品で、産出品の展示にもなっています。

  中央ホールでは、芸術と文化が一体になって展示が展開します。館内にはルビー、サファイア、ヒスイ、真珠をはじめ、きらびやかなビルマの各種宝石がちりばめられ、いちだんと豪華さをひきたてます。そして、天井には花の形をした照明が、ビルマの伝統美を物語るようにうつくしく輝き、展示場いっぱいに神秘な光を降りそそぎます。装飾用の宝石、展示されている宝石類がその光に映えているさまは、息をのむようなうつくしさです。

  展示館と岸とをつなぐ橋を渡ると、本場のビルマ料理がたべられる南方ふうのレストランがあります。『竜王船』をとりまく池のほとりに建つこのレストランは、ビルマの田舎の家を模した南方ふうの建物で、ちょうど川をゆったり進む『竜王船』をながめながら、食事をたのしめるようになっています。

■ ベトナム共和国     【120頁に掲載】

  

  世界の注目を集めているベトナムは、戦火の中から 『人類の進歩と調和』を願う日本万国博に参加しました。「この質素な展示の中から、ベトナム人の、くみつくせない力をつかみとってほしい」というのが、展示館の中に流れる願いです。

  展示はベトナムの天然資源と、戦乱の中にありながら世界の国々と協力しようとする国民の姿勢を説明します。そして長い戦いと紛争にも侵されなかった詩、文化、進歩を愛するベトナム人の真の姿を強調しています。

  ベトナム人は、インドシナ半島の東南部をぐるりと取りまくようなかたちをした日本の約半分、17万平方キロメートルの広さです。首都サイゴンの西南にひらけたメコン・デルタ地帯がこの国の生産活動の中心で、有名なサイゴン米もここで作られています。国旗の黄色も稲穂と国土、貴金属をあらわしているほどですが、戦争の影響で生産が減り1965年以降は逆に米を輸入しています。

  重要輸出商品のゴムは南部を中心に栽培され、1961年には7万7,560トンの天然ゴムを生産していますが、その後は少しずつ減っています。戦火の影響はゴム園にもあらわれているわけですが、樹齢が平均30年、1本あたりの生産量が減ってきたことも原因の一つのようです。

  しかし、戦火にもめげず働く農民の姿はむかしながらのすげ笠、ベトナム服と水牛の典型的なモンスーン・アジアの農村風景に表れ、その力強さをみせてくれます。

  インターナショナル・プレース4にある展示館では、その力強さと優雅さ、品位と徳で知られるベトナムのお嬢さんたちが、みなさんをもてなします。 「親しみのこもったそのもてなしは、きっと長く記憶に残るでしょう」と同館ではいっています。また展示を見、資料に目を通したあと、風味のあるベトナム料理を味わってください。

■ カンボジア王国     【139頁に掲載】

  

  アンコールワットやアンコールトムの遺跡で知られたカンボジアは、常夏の国で首都プノンペンの平均気温は27.4℃という暑さです。

  『アジアの神秘』といわれる美術建築の遺跡は、12~13世紀に建てられたもので、9世紀から強大な国威を誇ったカンボジア王国のなごりです。建築としてはインドの影響を受けていますが、そこからカンボジア独自の様式を生みだしたすばらしいアジアの遺産として、いまも多くの観光客を集めています。

  そのアンコールワットの南に広がるトンレサップ湖と、国土を縦断して流れるメコン川は、この国の経済を左右する”宝”です。トンレサップ湖は、雨期は1万平方キロメートル、乾期でも琵琶湖の4倍にあたる3,000平方キロメートルの広さ。メコン川はプノンペンまで雨期は7,000トン級、乾期でも3,000トン級の船が航行できます。

  そして、トンレサップ湖はメコン川のはんらんのときは自然の貯水池になり、メコン川は流域によくこえた土をばらまき、米やトウモロコシ、大豆などの農作物に大きく貢献しているのです。約660万人の人口のうち、76パーセントの人が農業に従事しているこの農業国にとって、巨大な湖と川がつくった平野はドル箱でもあるわけです。また国土の73パーセントを占める森林が生みだすチーク材などの木材、世界一の漁獲量を誇るトンレサップ湖の淡水漁業も、カンボジアの重要な資源です。

  日本との関係は、1959年に発効した経済技術協力協定で、プノンペン上水道や農業技術・牧畜・農村医療3センターの建設などに日本が協力、技術者を交換するなど、深くなっています。民間企業も森林・農産物の開発に協力し、その貿易面への好影響が期待されています。カンボジア館は、インターナショナル・プレース3にあります。