メコン圏と日本(地域・人)との繋がりを辿る

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日本郵船歴史博物館

(神奈川県横浜市中区海岸通3-9)

 

館内には、日本郵船の歴史を年代順に観賞できる常設展示あり。

1.日本をひらく

ペリー来航、明治維新といった歴史的事件を背景に、岩崎弥太郎という人物を中心として、海運の生成期を紹介

2.日本郵船誕生秘話

岩崎弥太郎率いる「三菱」と、その打倒を目論む「共同運輸」との争いを軸に、「日本郵船会社」誕生にいたるまでのドラマ

3.世界にひらく

日本の海運会社として初の遠洋定期航路を開拓した日本郵船。その成功への軌跡を通し、世界第3位の海運国となるまでの歴史を紹介

4.豪華客船時代の到来

「浅間丸」「鎌倉丸」「新田丸」「八幡丸」「春日丸」。世界中から愛された豪華客船の雄姿を、モデルシップや当時の資料で紹介

5.戦争と壊滅

太平洋戦争のため徴用され、犠牲となった豪華客船と多くの人命。戦時下の日本郵船の辿った悲劇的な歴史を振り返る

6.復興への道

幾多の苦難を乗り越え、米国航路に復帰した「氷川丸」などのエピソードを通し、戦争の傷を背負いながらも力強く復興していく日本海運の姿を紹介

7.総合海運会社への変革

高度成長期、貿易立国を目指して産業の国際競争力を高め、海運業界のトップへと躍進していく日本郵船。各種専用船の断面模型と共に展示

8.安定成長への対応

輸送船の大型化・専用化が進む中、物流の構造改革に取り組む日本郵船の姿

9.「線の輸送」から「面の物流」へ

「総合物流企業」を目指す日本郵船グループの姿と、その取り組みを紹介


      第18回
   
メコン圏海域に沈んだ日本郵船戦時船

1941年夏までに、日本郵船の遠洋定期航路はすべて休止され、開戦に備えて船舶の徴用が一気に拡大した。太平洋の新たな女王として建造された豪華客船、橿原丸は、客室を無造作に破壊され、一度も航海することなく空母「隼鷹」に改造された。その他、新田丸(空母沖鷹に改造)、春日丸(空母大鷹に改造)など多くの船が改造され、幾多の人命と共に太平洋に消えていった。


  太平洋戦争における日本郵船の損失と犠牲は、

     失われた船舶:185隻  113万トン

     (内訳) 陸軍御用船   65隻

          海軍御用船   51隻

          運営会使用船(民間及び官庁船)  66隻  

          海軍省買上げ船 3隻 

     失われた人員:5,312名

     (内訳) 陸上社員   155名

          海上社員 5、157名

  戦争参加船員の死亡率は43%(海軍兵員の2.6倍)。

 太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月1日、午後11時、シンガポールから日本に向かう途中の台湾海峡において、米国潜水艦クイーンフィッシュにより撃沈された1万2千トン級の大型貨客船「緑十字船」阿波丸の場合は、2千名余りの乗客乗員は、一人の生存者・下田勘太郎氏を除いて全員死亡と、最大の悲劇となった。この「阿波丸」は、アメリカおよび連合国側の要請によって日本の占領下で捕虜および抑留されている将兵や市民16万5千人(アメリカ軍捕虜と市民約1万5千人、連合国軍捕虜と市民約15万人)のために赤十字の救援物資を運び届けるという特殊な任務を帯びており、連合国側から往復路の航海絶対安全を保証されていた「緑十字船」であった。この阿波丸も、日本郵船所有の貨客船だが、太平洋戦争中の統制で船舶運営会の使用船となっていた。

 阿波丸の沈没地点は台湾海峡であったが、太平洋戦争中、メコン圏海域に沈んだ日本郵船の戦時船も、下記の通り、秋田丸、豊橋丸、函館丸、鹿島丸、長田丸、天城丸、備前丸、だあばん丸、日永丸、永万丸、延喜丸、延元丸、永福丸、鳥取丸と、14隻に及んでいる。沈没地点は、仏印沖がほとんどで、仏印沖以外は、シャム湾入口、タイ国南部シンゴラ沖、タイ国西岸プーケット沖、アンダマン海での沈没4隻。また、長田丸、永万丸が空爆で沈没した以外は、すべて潜水艦の電撃を受け沈没している。

 1913年(大正2年)に川崎造船所(神戸)で建造された鹿島(かしま)丸は、欧州航路における大型貨客船として活躍した日本郵船所有の貨客船だが、阿波丸同様、大西洋戦争中の統制で船舶運営会の使用船となり、1943年9月、陸軍部隊1653名他を掲載し、台湾よりシンガポールに向け航海中、仏印カムラン湾沖で沈没している。1944年8月、仏印カムラン湾口で沈没した、だあばん丸の場合は、同年8月12日、だあばん丸を一番船とした5隻の船団「マサ10船団」が、サイゴンに向けマニラを出港したが、だあばん丸には、釜山で乗せた関東軍の狼舞台3、354人のほか、砲弾、弾薬、車両、軍馬、軍犬などビルマ戦線に必要だと思われるものが搭載されていた。

 主たる参考文献:

   『日本郵船戦時船史』(日本郵船株式会社、1971年5月刊行)



 ■ 秋田丸(あきたまる)

      (貨物船、総トン数3,817トン、長さ105.16メートル、速力12ノット)

       1916年5月12日竣工(三菱合資 長崎造船所)     【徴用種別】陸軍期間傭船

   【遭難日時】 1942年1月10日 午後5時21分

   【遭難地点】 タイ国南部シンゴラ沖

   【遭難状況】 サイゴンよりシンゴラ向け航海中、潜水艦の電撃を受け、1月10日午後6時ごろ沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊、隊属貨物

 ■ 豊橋丸(とよはしまる)

      (貨物船、総トン数7,031トン、長さ135.64メートル、速力12ノット)

       1915年5月5日竣工(川崎造船所(神戸))        【徴用種別】陸軍期間傭船

   【遭難日時】 1942年6月4日 午前3時35分

   【遭難地点】 タイ国西岸プーケット南の南西約40マイル   北緯7'14"  東経98'06"

   【遭難状況】 ビルマ南部タボイより昭南向け航海中、潜水艦の電撃を受け、6月4日午前4時ごろ沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊36人、隊属貨物

 ■ 函館丸(はこだてまる)

      (貨物船、総トン数5,302トン、長さ121.92メートル、速力10ノット)

       1919年9月11日竣工(三菱造船 神戸造船所)     【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1942年7月16日 午前11時45分頃

   【遭難地点】 仏印バレラ岬沖3マイル   

   【遭難状況】 台湾・馬公よりバンコク向け航海中、潜水艦の電撃を受け、7月16日午前11時50分ごろ沈没

   【掲載物件】 船客6人(バンコクまで行く三菱商事の社員6人)、オートバイ、古麻袋など計830トン

 ■ 鹿島丸(かしままる)

      (貨客船、総トン数9,908トン、長さ149.35メートル、速力14ノット)

       1913年10月1日竣工(川崎造船所(神戸))        【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1943年9月27日 午前7時40分

   【遭難地点】 仏印カムラン湾の南南東約100マイル   北緯10'10"  東経109'40"

   【遭難状況】 台湾・馬公より昭南向け航海中、潜水艦の電撃を受け、9月27日午前8時2分ごろ沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊1653人、便乗者2人、船客107人、隊属貨物、軍需品、雑貨、計8,353立方メートル

 ■ 長田丸(ながたまる)

      (貨物船、総トン数2,969トン、長さ93.10メートル、速力11ノット)

       1937年2月15日竣工(三菱重工業 横浜船渠)     【徴用種別】海軍期間傭船

   【遭難日時】 1944年4月22日 午後7時35分頃

   【遭難地点】 仏印サンジャック沖   

   【遭難状況】 昭南よりサンジャック向け航海中、空爆を受け、4月22日午後7時50分ごろ沈没

   【掲載物件】 便乗者101人、ニッケル鉱その他 計3,110トン

 ■ 天城丸(あまぎまる)

      (貨客船、総トン数3,165トン、長さ96.16メートル、速力11ノット)

       1924年(大正13年)5月31日竣工(横浜船渠)        【徴用種別】陸軍期間傭船

   【遭難日時】 1944年5月2日 午後10時40分

   【遭難地点】 南アンダマン島の南南東約55マイル   北緯10'52"  東経93'12"

   【遭難状況】 昭南より南アンダマン島ポートブレア向け航海中、潜水艦の電撃を受け、5月3日午前2時20分沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊約600人、隊属貨物

 ■ 備前丸(びぜんまる)

      (貨物船<戦時標準船B型>、総トン数4,667トン、長さ113.09メートル、速力11.5ノット)

       1943年6月15日竣工(東京石川島造船所)        【徴用種別】海軍期間傭船

   【遭難日時】 1944年5月24日 午前2時25分

   【遭難地点】 サイゴンの南東250マイル   北緯7'30"  東経109'08"

   【遭難状況】 北ボルネオのラブアン島よりサイゴン向け航海中、潜水艦の電撃を受け、5月24日午前2時半沈没

   【掲載物件】 なし

 ■ だあばん丸

     (貨物船、総トン数7,163トン、長さ128.02メートル、速力12ノット)

       1919年(大正8年)12月3日竣工(三菱造船 長崎造船所)      【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1944年8月21日 午前9時52分

   【遭難地点】 仏印カムラン湾口   北緯11'44"30  東経109'15"

   【遭難状況】 マニラよりサイゴン向け航海中、潜水艦の電撃を受け、8月21日午前2時、沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊3,354人、便乗者8人、隊属貨物、石炭約1,760トン

 ■ 日永丸(ひながまる)

     (貨物船<戦時標準船K型>、総トン数5,396トン、長さ121.71メートル、速力10ノット)

       1943年11月20日竣工(日本鋼管 鶴見造船所(横浜)        【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1944年11月15日 午前1時

   【遭難地点】 仏印パダラン岬の南西約10マイル   北緯11'16"  東経108'54"

   【遭難状況】 門司より昭南向け航海中、潜水艦の電撃を受け、11月15日午前1時45分ごろ沈没

   【掲載物件】 陸軍部隊596人、便乗者1人、鋼材1,803トン、隊属貨物、その他 計5,566立方メートル

 ■ 永万丸

      (貨物船<戦時標準船二A型>、総トン数6,968トン、長さ129.91メートル、速力10ノット)

       1944年7月2日竣工(三菱重工業 神戸造船所)        【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1945年1月12日 午前11時50分ごろ

   【遭難地点】 仏印東岸キノンの北30マイル   北緯14'05"  東経109'18"

   【遭難状況】 仏印サンジャックより関門港向け航海中空爆を受け、1月12日午後0時25分ごろ沈没

   【掲載物件】 ボーキサイト、ゴム

 ■ 延喜丸

     (応急油槽船<戦時標準船二A型貨物船改造>、総トン数6,968トン、長さ129.91メートル、速力10ノット)

       1944年9月22日竣工(三菱重工業 神戸造船所)        【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1945年1月31日 午前5時52分

   【遭難地点】 仏印東岸バタンガン岬の南17マイル   北緯14'56"  東経109'00"

   【遭難状況】 仏印サンジャックより内地向け航海中、潜水艦の電撃を受け、1月31日午前8時05分沈没

   【掲載物件】 便乗者29人、重油7,096トン、錫500トン、生ゴム1,600トン、雑貨2,200トン

 ■ 延元丸(えんげんまる)

     (応急油槽船<戦時標準船二A型貨物船改造>、総トン数6,890トン、長さ129.91メートル、速力10ノット)

       1944年11月3日竣工(三菱重工業 神戸造船所)        【徴用種別】船舶運営会使用船

   【遭難日時】 1945年2月6日 午後11時05分

   【遭難地点】 サイゴンの南約260マイル   北緯6'31"  東経106'12"

   【遭難状況】 昭南より門司向け航海中、潜水艦の電撃を受け、2月6日午後11時07分ごろ沈没

   【掲載物件】 便乗者7人、重油7,110トン、生ゴム1,195トン、錫217トン、その他 計8,854トン

 ■ 永福丸(えいふくまる)

     (貨物船、総トン数3,520トン、長さ104.82メートル、速力10ノット)

       1939年4月5日竣工(三菱重工業 横浜船渠)        【徴用種別】海軍祼傭船

   【遭難日時】 1945年2月8日 午前1時30分ごろ

   【遭難地点】 仏印サンジャックの南西約240マイル   北緯7'05"  東経104'50"

   【遭難状況】 昭南よりサイゴン向け航海中、潜水艦の電撃を受け、2月8日午前1時30分ごろ沈没

   【掲載物件】 海軍部隊約250人、航空ガソリン、空中魚雷、弾薬

■ 鳥取丸(とっとりまる)

      (貨物船、総トン数5,973トン、長さ128.78メートル、速力10ノット)

       1914年(大正3年)1月19日竣工(ラッセル会社(イギリス)       【徴用種別】海軍期間傭船

   【遭難日時】 1945年5月15日 午前1時27分

   【遭難地点】 シャム湾入口   北緯9'58"  東経101'05"

   【遭難状況】 仏印南岸ハッチェンより昭南向け航海中、潜水艦の電撃を受け、5月15日午前1時32分沈没

   【掲載物件】 米500トン