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昭和50年(1975年)5月13日 火曜日 朝日新聞 総合(3)
漂流中を救助したベトナム難民二人を乗せたパキスタン貨物船「サファラズ・ラフィキ」(9406
トン)は12日午後6時半過ぎ、関門港外の六連検疫泊地に着き、検疫、入国手続きをした。難民
は若いベトナム人兄弟で、国家警察学校生徒のラム・ミン・ロクさん(20)と高校生のラム・ミン・
タム君(14)。二人は「できたら、ずっと日本に住みたい」と、日本への入国、永住の希望を明らか
にした。
同船は予定を変更して、13日朝9時、北九州市八幡港の新日鉄八幡製鉄所構内16号岸壁に
接岸する予定だが、法務省の指示を受けた下関入国管理事務所と同八幡港出張所は「二人が
正式な旅券、査証を持っていない限り、上陸を認めない」といっており、二人の処置をめぐって、
法務省当局や政府は新たな課題を背負うことになる。
兄弟は中国系で、林明禄、林明義という中国名もある。カンホア省出身。
二人は元気で、行く先については「日本がだめなら、アメリカに行きたい。ベトナムには帰りたく
ない」といい、南ベトナム脱出の模様や、ラフィキに救助されるまでの苦難を、兄のロクさんが次
のように語った。
戦争が激しくなるにつれ、大群衆が逃げだし始めた。4月30日朝、小さな船に2千人近くが殺
到して乗り、港を出た。
自分は警察学校に入っていたので、解放戦線が来たら、殺されるか、連行されると思い、脱出
することにした。
父も別の船に乗ったが、途中でわからなくなった。やがて、船の食糧や油が底をついた。船は
シンガポール港沖で漂い始めた。近くを通る船は、なにもしてくれなかった。やがて、船が故障
したのか、傾いたのか、人がどんどん海に落ちていった。自分たち二人も落ちたが、安全ブイに
つかまることができたが、漂流が激しく、どんどん沖へ流され、もうだめかと思った。
漂流が24時間以上になった。6日朝、パキスタンの船が見えたので「助けてくれ」と叫んだ。助
けられ、甲板に上がったときは、涙が出た。
救助されるまでの3日間、食事はできなかった。漂流中、天気がよかったので助かった。
しかし、いっしょに漂流した多数の人々は、おぼれ死んだはずです。
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